文化CULTURE
世界の果てで眠りたい Vol.3
安宿百景
旅では、どんな宿に泊まるかも楽しみのひとつだ。
とくにセンスがよく、趣向を凝らした空間で過ごすのは、非日常の贅沢な楽しみである。
一方で、放浪の旅ならではの宿もあって、そこにあるのはだいたい非日常の驚きだ。
今回は私がこれまで泊まってきた、「非日常≒日本では考えられん」宿をいくつか紹介していこうと思う。
今まであらゆるタイプの宿で眠ってきた。
リゾートホテル、ブティックホテル、モーテル、民泊、ゲストハウス、バンガロー、砂漠のテント、チャイハネのベンチ(←ホテル?)などなど。
正確な数はわからないけど、400軒くらいの宿には泊まっていると思う。
旅ではだいたい安宿に泊まっている。“ゲストハウス”とか“ホステル”とか呼ばれるところだ。一泊500円や、高くても2000円くらいで泊まれるので、長期で旅をするバックパッカーはだいたいゲストハウスに泊まる。
旅が日常になっていくと、「宿に金なんてかけられんわ」という境地に足を踏みいれていくのである。
そして町の片隅にある安い宿こそ、非日常の楽しみを体験させてくれる場所なのである。
まず最初に紹介するのは、先日行ってきたベトナムのダナンにある宿。
ベトナム第三の都市ダナンは、中部の海沿いにあるリゾート都市である。
名物ドラゴンブリッジ。週末はこの竜が火と水を吐く。
ダナンでは私も、けっこう上等な宿を選んだ。
1800円の宿である。
安い!と思うかもしれないが、もう一つの宿の候補が360円(朝食代じゃないです。一泊の値段です)だったので、1800円でも上等だと言わせていただきたい。
今回のサプライズは、このホテルのバスルームにあった。
海外の安宿では、浴室にはバスタブはなくシャワーだけで、その横にトイレの便座がある。
だからシャワーを浴びたあとは、トイレにいく時にびしょびしょの床を歩かないといけない。
とても不便である。
この不便への宿側の対策は、だいたい薄いバスマットがあるだけだ。
しかし、今回のホテルは親切にサンダルが置いてあった。
さすがに上等(?)なホテルは違う。
カムオン(←ベトナム語でありがとうという意味)。
ところが、よくみるとサンダルが不自然である。
不自然に、つま先がまっすぐだ。
さらによく見ると、なんとつま先がバッサリと切られていた。
なんでこんなことをするんだろう。
サンダルを履くと、やっぱり足先がはみ出て濡れてしまう。
なぜだ。
なぜこんなことをするんだ、ベトナム人よ。
そして浴室をでたら、部屋の隅にその答えがあった。
なるほど!
こうやって壁にたてかけて安定させるために、つま先をバッサリ切り落としたのだ。
・・・、
・・・・・
・・・・・・・・プライオリティそこ?
つま先が濡れるよりも、サンダルがきれいに直立することを選んだベトナム人。
サンダルの前に立ったまま、彼らの思考の妥当性について5分ほど考えてみたが、答えはでなかった。
しかしとにかく彼らはやったのだ。
そしてさりげなく、サンダルの色も両足で異なっている。
たかがサンダルだけれど、ベトナム人の精神構造の葉先をみている気分だ。
異文化の気質は、なかなか簡単には消化できないものなのである。
二軒目は、同じくアジア。ラオスでの宿を紹介したい。ここはさらにすごい。
ラオスの南部の、カンボジアとの国境近くに「サウザンド・アイランド(千の島)」と呼ばれる地域がある。
網目のように広がった川に、その名の通り無数の島と中州が浮かんでいる。
サザンアイランドはヨーロッパ系の旅人が旅の目的地として開拓したエリアだ。
ヨーロッパのヒッピー気質をもった旅人は、物質主義をさけたがり、高いビルや信号がないような、こういった辺鄙な場所へ集まっていくのである。
こういったエリアは世界でいくつもある。
アジアでの例をいえば、タイ北部のパーイ、同じラオスのバンビエン、タイ北部ならパーイ、フィリピンのエルニドなど。
さっそく島のひとつにボートで渡る。
島渡しの船頭さん
私が行ったころはほとんどが欧米系のツーリストだった。
まず泊まったのは、川沿いのバンガローだ。
質素な小屋で、アメニティなんて一切ないが、最初からそんなものは求めていない。
暑い日中はハンモックやクッションに寝そべって川面を眺める。
積乱雲と、カフェオレみたいなにごった水と、魚が跳ねればその音に鳥の鳴き声が応え、空腹になるとミークア(焼きそば)かカオクア(チャーハン)を食し、フルーツジュースでまったりとする。河辺に沈む夕陽が沈みこんでいき、景色のすべてを紅く焼いていくのを眺める。そのあと真っ暗な灰みたいな夜になるまで、眺める。
こういった、だらけきった生活は、何もしていないのに不思議と充実感がある。
この満足感を、一度味わってしまうと厄介である。
帰国してからも、仕事をしている時などに、この景色がフラッシュバックする。
そしてあちらの時間の流れが、手招きをするのである。
「また戻っておいでよ」と。
それは強い誘惑で、抵抗するのが大変なのである。
私はバンガローの浮世離れをした生活をしていたが、三日目に体調を崩してしまった。
身体の鍛え方が足りなかったのもしれない。
だらけきった生活をするにも、健康が第一である。
次回から思う存分なまけるために一生懸命身体を鍛えようと、そう心に強く誓いながら、バンガローをでて冷房のある宿に移動することにした。
そこは、コンクリ平屋建ての殺風景なつくりのホテルだった。
ホテルといっても彼らがそう名乗っているだけで、日本でいうホテルというイメージからは遠い。
でもその島では、エアコンが付いていてコンクリでできているというだけで、胸をはってホテルと名乗れるのだった。
とにかく部屋は清潔だし、チェックインした。
この部屋にはひとつ欠点があって、それは水周りが壊れていることだ。
かなりしっかりと壊れていて、蛇口のジョイント部分から噴出した水で、身体が洗えるくらいである。
そんなだから服を着たままバスルームに入ると、びしょぬれになってしまう。
トイレや歯磨きの度に全裸になるのは面倒だし、寝るときに水盛りの音が響いて、一晩中悩まされてしまった。
オーナーはすぐに修理すると返事をしたが、それは生返事で、配管工がくる気配はない。
仕方ないので、部屋を変更することにした。
「両どなりの部屋が空いてるから、好きなほう選んでいいよー」
管理している中年女性はのんきにそう提案してくれた。
ふたつの部屋をあらためる。
部屋の作りは同じだ。
長方形の白壁にベッドと机。
シャワー室は、やはり蛇口から水が漏れている。
まともな部屋はないのかと、残るもうひと部屋をみてみる。
そこの水道は水漏れがなかった。
それでそこに移ることにした。
荷物を運ぶと疲れがでて、すぐにベッドで眠った。
水漏れの音がないので、とてもぐっすり休むことができた。
眼が覚めて、枕もとのペットボトルの水を飲む。
体調が回復していくのを自覚できる。
トイレにいく。
トイレのたびに全裸にならなくて良いのは、ありがたいことだと感謝をする。
旅をしていると、こんな些細なことでも感謝の気持が生まれる。
不足することが多いから、少しでも足りるとそれをありがたく感じるのである。
旅人はこうして、謙虚さを身につけていくのだ。
ラオスのトイレでそんな神妙な気持ちになっているとき、なにか奇妙な物音がするのに気がついた。
なんだろう。
水漏れの音じゃない。
もっと低い振動音だ。
冷蔵庫のモーターみたいな。
でも冷蔵庫なんて上等(?)なものは部屋にはない。
そもそも、トイレに冷蔵庫なんて置かない。
いったいなんだろう。
私はシャワールームを見まわした。
すると私は、本来シャワールームにあるべきではないものを見つけてしまった。
部屋の天井に、なにか巨大なしみがある。
なんとそれは、蜂の巣だった。
とても立派な蜂の巣だ。
蜂たちはもじゃもじゃと、じゃれあうように活動をしている。
シャワールームには換気の穴がうがたれていて、そこを出入り口に暮らしているようだ。
水漏れよりも音は静かだが、しかし危険なので、あわててトイレをでて、すぐに管理人に報せる。
「トイレに蜂の巣があるよ!」
「あら、そうなの」
「危ないから、すぐに駆除しなよ」
「そうね、すぐに頼むわね」
管理人は水漏れの時と同じように応えるが、もちろんいつになるかはわからない。
仕方なく私はまた部屋を移り、水漏れの水道管をシャツでしばってやり過ごした。
私がラオスのサウザンアイランドにあるその宿に泊まったのは数年前の話だが、きっとあの宿ではいまでも、水漏れの音が旅人を悩ませ、そしてトイレの蜂が旅人を恐怖させているはずである。
最後はジョージアの宿。
この宿はさらにひどかった。
ジョージアはコーカサス地方にある。
コーカサスってどこ?という声も多いので、トルコの右隣と言った方がわかりやすいだろう。ソヴィエト崩壊後なかなか経済的に上昇できずにいる国の一つである。
しかし治安は悪くないし、人も素朴でけっこう物静かでもてなし好き、食べ物も美味しいし、ワイン発祥の地でもあり安く質は良い。歴史的な教会や修道院など見所も多く、バックパッカーには人気の地域だった。最近は日本でも少しずつ知られてきているし、これからもっと人気になると思う。
首都のトビリシの眺め。
首都のトビリシは、当時はまだツーリズムが発展していないので、設備は悪かった。
悪い、というか、ひどかった。
訪れる旅人も少ないものだから、ドミトリーがあるゲストハウスも数少なかったから、比較検討することもなく宿を決めた。
その宿は集合住宅の地下にあった。
扉をあけるとごく狭い空間に玄関と廊下がある。
ラウンジには巨大な柱が乱暴に空間を貫いている。
その間を縫うようにソファーやテーブルが置かれている。ラウンジ空間の天井のひとつに、赤いライトがあって、そこだけ地の滴るように灯りが垂れている。まるでレジスタンスの拠点みたいなすごみがある場所だ。
地下にあるホステルはとにかく湿気がひどく、カビの匂いも強い。中世の牢獄がこんなだったと聞いている。そしてそのラウンジを囲むようにドミトリールームがある。
ドミトリールームは4畳半ほどの狭い部屋に二段ベッドが二つ。ここもすさまじい湿気である。
「The 安宿」という感じの室内。
くつろぐどころか息をするのも不愉快になるので町へでかけることにした。
しかし、町には雨が降りだしていて、観光もあまりできずに、インターネットカフェで調べ物をして過ごした。
宿に戻ると、ラウンジにバケツが置かれていてそこに水が溜まっていた。
雨漏りしているようだ。
バケツで足りないところはタオルが敷いてある。
ソヴィエト時代に建てられたビルはかなり古く、雨漏りも仕方ないのだろう。
宿泊者たちも慣れていて、大して気にもせず各々ラウンジでくつろいでいる。
「大変やなあ」
その様子を他人事のように思いながら自分のベッドがあるドミトリールームに足を踏み入れると、思わず声を上げてしまった。
足がくるぶしまで水に漬かっていたのだ。
ドミトリールーには段差があり、ラウンジより地面が一段低い。そこに雨漏りの水が溜まっているのである。
床においていた私のバックパックの底がびしょ濡れだったので、慌ててそれを拾い上げる。同室の男は、自分の荷物をすべてベッドの上に避難させて、タブレットをのぞきこんでいる。
「できれば俺のもあげといてほしかったね!」
私は男に文句を言ったが、東欧系の男は首をすくめるだけである。
あてがわれた二段ベッドの上段にのぼる。マットは湿気でしなしなして気持ち悪いから、自前のブランケットを敷く。水は天井からも漏れていて、染み出した水が鍾乳石みたいにツララ状の滴となり、自重に耐えきれずちぎれて落ちていく。
私はこの環境を忘れようと本を開いた。
ロンドンの露店でワゴンセールをしていた、ルイス・サッカーの「Holes」というハードカバーだった。厚生施設のような場所で、ひたすら穴を掘らされる少年達の話だ。砂漠のような場所の過酷な強制労働は、寓話にでもなりそうな非現実的な環境である。
ときどき、本から顔をあげてみる。ベッドから部屋を覗くと、床においていた室内履きの私のサンダルが、川に流された犬のフンみたいに漂っているのが見える。この風景も小説に負けないくらい、非現実的ではある。なんとなく終末感も漂っている。そんな中で、本を読んで過ごした。
もちろん翌日すぐに宿を変えた。
さてさて、こういった宿は、今まで泊まってきた宿のほんの一部である。とにかくユニークだったり、非現実的だったり、そんな宿は世界中にたくさんある。そしてそういった宿はだいたい、バックパッカーの泊まる安宿である。
しかし安宿にも、良い宿はたくさんある。
最後に、西アフリカの素晴らしかった宿を紹介しようと思う。
西アフリカのガンビアという国の宿だ。
ガンビアは、セネガルの南にある小さな国で、ご存知ない方も多いと思う。
イギリス領だったので、英語が通じる。フランス語圏が多い西アフリカでは、それだけでもひと息つけるし、治安も悪くないので、ハードな西アフリカの旅で休憩するにはよいエリアだと思う。
私はセネガルのからマリに行く途中にひと休み、といった感じで入国した。
セネガルとガンビアの国境。マンゴーの実がなっている。
ガンビアの町、セレクンダの町並み
目的もなく宿に二泊ほどして、さて明日はマリに入国だというときに、最悪の情報が入ってきた。
マリでクーデターが起きたのだ。
軍部が起こしたクーデターで、首都のバマコでは銃撃戦が起こっているという。
とにかく情報が入り乱れていた。国境が24時間後に閉鎖されるとか、ずっと開放されるとか。宿の人間は、国境は越えられないと言い、タクシーの運転手は「まだ越えられる」と言う。どの情報に信憑性があるかわからない。そこで、自分なりに情報を集めてみた。
私と同じように、西アフリカをうろついていた旅人たちに連絡をとってみると、そのなかにマリの首都バマコで足止めをくっている旅人がいた。
その旅人に町がどんな様子か聞いてみる。
「いま市街地のホテルにいるんですが、ふつーに銃声とかがきこえてますー」
銃撃戦という危機的な状況でも、どこかのんきな返事が聞こえてきた。
とくに観光資源も少ない西アフリカを放浪するような旅人は、旅の経験も豊富で、ある程度肝がすわっているのだ。
しかし、国境はやはりクローズしているようだ。
現地在住の日本人の方にも連絡を取ってきいてみたら、やはり国境には近づいてはダメと助言してくれた。
さらにマリ北部では、クーデータの混乱に乗じてIS系の勢力が実行支配地域を広げているとのことで、かなり重大事になってきている。
私は無理をして国境を越えずに、ガンビアでしばらく様子をみることにした。
私が西アフリカを旅していることを知っている知人には、こう報せておいた。
「隣国でクーデターが起こって、足止めをくっている。なんとか入国のめどが立たないか、探っている毎日だ」と。
↑この文章をみると、なんか危険で混乱していて、緊迫した状況のようである。
日本などの知り合達はやはり、
「アフリカやばい!本当に気をつけて,命を大切に!」
と心配してくれていた。
彼らにとってみれば、私が戦地にでもいるかのように感じているのだと思う。
だけれども、みんなが心配してくれているなかで、私が泊まっていた宿はとても快適だった。何せこれである。
なんとプールつき!
朝食はプールの周りで、毎朝クロワッサンにサニーサイドアップ、キューカンバーとトマト、デザートにかご一杯のマンゴーを食べる。
食後のコーヒーだって「ミルクをたっぷりお願いします」なんて注文もつけて、とにかくひどくのんびりしていたのである。
日本で心配していた人が見たら、心配泥棒だと文句を言いたくなるだろう。
これで一泊1500円くらいだった。
素晴らしい宿である。
ただ、その当時はガンビアも独裁政権下にあったから、隣国マリのクーデターをうけて、ここでも何が起こるかわからなかったが、しかしそれだけに、あのホテルの別世界感は際立っていた。
高級ホテルなどの、贅沢で洗練された非日常も良い。
安宿の、何が起こるかわからない非日常も楽しい。
どちらも旅の醍醐味なのである。

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