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ロックン・ローヤーの音楽なんでもコラム Vol.8

ロックン・ローヤーの音楽なんでもコラム Vol.8

ジャズと映画と証人尋問


フレディ・マーキュリーを取り上げた「ボヘミアン・ラプソディ」のヒット以来、音楽関係の映画が目立つように思います。ジャズ関係でも、ドキュメンタリーではありますが、ビル・エバンス、ブルー・ノート関係のドキュメンタリーものがあり、近々またチェット・ベイカー物「マイ・フーリッシュ・ハート」が公開されるとか。チェットというと、数年前に「Born to Be Blue ブルーに生まれついて」 という、空白の数年間を、イーサン・ホーク主演で描いた作品があったのですが、今度は謎の多い、その死に迫る作品だとか。イーサン・ホークスのチェットは、ハマっていたので、そのまんま演じて欲しかったけど、別の人(アイルランドのロックバンドのボーカルで、スティーブ・ウォールと言う人)みたいです。
ジャズ・ミュージシャンの死に迫る作品というと、チャーリー・パーカーを扱った、クリント・イーストウッド監督の「バード」という映画もあったのですが、さすがに題材のチョイスを間違うと、イーストウッドでもどうしようもない、としか言えない作品だったかと思います。
薬物問題でピエール瀧、というか電気グルーブ名義の過去の作品まで撤去されるという世の中では、ジャンキーの代表格ともいうべきチャーリー・パーカーなんて、聴くことに罪悪感を覚えないわけにはいかないわけです。そのパーカーの薬物でぼろぼろになった最期(映画にもあったけれど、35歳だったはずのパーカーを検視官が「50代男性の死体」と言うほどひどいものだった。)を、どうしてイーストウッドが描こうと思ったのかもよく分からない。イーストウッドが筋金入りのジャズファンだというのは十分理解はしているけれど。まだイーストウッド本人が主演でもすれば見せ場あったのかもしれないけれど、さすがに人種の壁は超えられないわけで、黒人ミュージシャンを演じることはできなかったのでしょう。
ジャズの映画というと、「ラウンド・ミッドナイト」が最高峰ではないかと思うのです。実在の誰かのストーリーではないけれど、なんとなく、バド・パウエルのパリ時代を、共演経験もある、テナー・サックス奏者のデクスター・ゴードンが演じているという面白さ。ミュージシャンながら、デックスのケールの大きな演技も最高です。音楽の担当は、ハービー・ハンコックで、サントラも最高。
デクスターは、その後、俳優として、「レナードの朝」(ロビン・ウィリアムズ、ロバート・デ・ニーロ主演)にもピアニストの病人役で、ほんの少しですが、出演しています。これ、最晩年のデックスの姿なんですよね。
映画の話ついでに、アドリブ演奏についての、僕の解釈を。俳優さんの場合は、脚本がありつつも、役になりきることで、何かが降りて来て、そこにふさわしいセリフが出てくる、というのがアドリブの演技だと思う。ジャズのアドリブも、同じように、楽譜がありつつも、演奏家が音楽になりきることでそこにふさわしい演奏、いちばん説得力のある音楽が降りてくる。作曲というのはあくまでも頭での作業である一方で、アドリブは体で作曲する、みたいなイメージ。バップとか、モードとかは、その枠組みなのだけれど、マイルスあたりは、わりとかっこいいアドリブ演奏のできる理論構成を発展させていったのではないかと思う。パーカーはわりとでたとこ勝負でやった挙句に苦しみぬいて、クスリに逃げてしまったところがあると思う。デックスの映画の中でも、薬物問題は大きなテーマだったが、日々新しい音楽を作り上げるのは苦しいものだと言う切ないシーンがあった。
弁護士として意外と考えるのが証人尋問の時、詳細な脚本を作って、証人に過不足なく話をさせたいのですが、この通りに喋られると、嘘臭くて、信用性が感じられないことになってしまう。
アドリブの方が真実味があるわけですが、コントロールが効かないと、何を話されるかわからないというリスクもある。ほどほどがいちばんなのだけれど、匙加減はなかなかうまくいかない。

だから、自分の方の証人の尋問ってキツい。パーカーが薬物に逃げたくなった気持ちも少し分かる気がする。オレは、相手の証人にツッコミ入れる反対尋問の方が向いてるかな。










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法坂 一広
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法坂 一広 IKKOU HOUSAKA

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法坂一広
1973年福岡市出身
2000年弁護士登録(登録名は「保坂晃一」)
2011年「このミステリーがすごい!」大賞受賞2012年作家デビュー
著書に弁護士探偵物語シリーズ・ダーティ・ワーク 弁護士監察室
ブログhttps://ameblo.jp/bengoshi-kh