Bigmouth WEB MAGAZINE

対談INTERVIEW

【好きを仕事にしたひと vol.1 松本康-中編-】

【好きを仕事にしたひと vol.1 松本康-中編-】

【好きを仕事にしたひと vol.1 松本康-中編-】

あのとき違う道を選んでいたら。

もしもこの仕事を選ばなかったら。


「好き」を仕事にしたひと、「好き」は好きのままで別の道を選んだひと。それぞれの生き方を深掘りする連載インタビュー。


初回は、福岡でレコード店を40年以上続ける松本康(まつもと・こう)さん。音楽の師として慕われ、周囲にはいつも音楽を愛する人たちが集う。(聞き手:古林咲子@JUKE JOINT

歌とリズムがあるところはどこへでも行く

-音楽を自分の立場で理解する、というのは?

当時、ブルースを自分たちで研究するために「ブルースにとりつかれて」っていうパンフレットをつくって勉強会をしよったわけね。鮎川さんがおって、自分はアシスタントやったんやけど。ミュージシャンのことを「何年に生まれて、どこで生まれて、何が代表曲か」っていうのはありきたりの話じゃん。そういうのを分かっとるっていうのは音楽を理解していることにはならんやん。情報を分かっとるだけで。

-というと?

その人の声がこんなだ、この歌い方がかっこいい、とは分かってないわけやん。それはウィキペディアを見るのと同じで。「このミュージシャンはここがかっこいい」とか自分なりの感想を言えるまでには時間がかかるじゃん。それが大事やった。それを教えてもらったんよ。門前の小僧みたいな感じでお経を覚えていって、だんだんと何を意味しているかが分かるようになって面白くなってくる。

-音楽尽くしの楽しい日々ですね。

24歳のとき「ぱわあはうす」を辞めたのは自分にとって一大打撃やったね。もともとシャイなほうで人と仲良くしきらんやったけど、こういう場所に集まれば人とのふれあいってあるじゃん。それが途切れるわけね。ノイローゼじゃないけど鬱なときがあったんよ。24歳のときに。


それまで上り調子できたときに挫折を味わうっていうのかな。思う通りにならん、と。それで、あちゃあと思って人と会うのも億劫になって引きこもりっぽくなるんだけど。その間にまた音楽を聴けるようになったったい。オタクやね、要するに。

-ますます音楽漬けですね。

人と会わんでも音楽は聴けるやん。それでロック喫茶とかいったり、「イベントあるけん遊びにこん?」とか人から声がかかって。そうこうするうちに、自分で輸入しようという気持ちになったんよ。仲間と一緒に買えば安くなるけんさ、単価がね。


で、レコード3枚を仕入れるのに送料が3000円やったら送料だけで一枚1000円になるやない。10枚輸入しても送料が3000円やったら一枚あたりが300円になる。みんなに声をかけて一緒に輸入しようよって言ったのがレコード屋になるウォーミングアップみたいな感じやね、今思えば。

-輸入がスタートだった。

普通の人はレコード屋するなら、レコード屋に勤めるじゃん。それはしなくてもいいと思いよった。だって、そういうレコード屋が好きじゃないけん自分でしようと思ったったい。普通は流行っとるものを「今月はこれがおすすめ」といって売るわけじゃん。


でも、流行っとるとか関係なく置きたいものは置きたいわけよ。プライスカードも自分でつくるとか、棚も自分でつくるとか。自分の置きやすいようなディスプレイにするとか。そういう気持ちやった。

-営業は順調でした?

よく勘違いされよったんよ。「あそこのレコード屋は売れ残っとる」って。同じものがいつもあるけんさ。でも、売れ残ってないんよ。売れたら補充、売れたら補充、それが一番難しいんよ。レコードって何が売れるか分からんし、仕入れるときに電話一本で「あれ持ってきちゃってん」っていうわけにはいかんけんさ。


国内盤は別として、輸入盤は先を見越して3年間で10枚売ろうと計算して、3年分くらい備蓄しとくわけね。半分減ったら次の何年か分を仕入れて、だから常にある。それはなかなか高度なテクニックなんよ(笑)

-常時、何枚くらい?

CDと合わせて3万くらい。一番多いときは5万くらい。

-なぜそれほど集めているんですか?

まず、好きっていうのがあるね。歌とリズムがあるところはどこへでも行く。ただ、クラシックとジャズは聴かんとよ。歌が入ってないとだめ。ブラジルなんてのは最たるもので、歌のきめ細やかな情感があったりとか、ブラジルならではのリズムが絡んで独特の世界をつくるわけね。だけんもう、すごいわけよ。


それでハーモニーが合うとするじゃん。すると楽しみが倍になるっていうか。カルテットエンシーとか、マリア・ベターニアとか、ガルコスタとか、カエターノ・ヴェローゾとか。名前をどんどん覚えるじゃん。それを聴いて、カタログに載っとったら輸入する。

-そうして集めていく。

品を切らさんというのはもう一つ手があるんよ。枚数を見せることで「あそこはこんなのが得意なんだな」と印象に残るやろ。もしも仕切り版にアーティスト名だけあって中に一枚しかなかったら「大したことないじゃん」ってなる。でも10枚あると「分かっとるな」って。すると売るときにはあそこに売りにいこうってなるわけ。良い考えやろ。

JUKE JOINTオープンのきっかけは?

もともとがさ「ぱわあはうす」で育っとるやん。みんなで集まってみんなで聞こうやっていうのがあるわけね。クラブというのはあったけど、その日限りで日常的にはならんやん。普通の喫茶店でかけるっていうのは他の客がうるさいやろうし。


音楽の店って絞ると集まりやすいじゃん。90年代のUKロックを中心にするとか、和物ばっかりかけるとか、いろいろあるけど、するとなおさら集まりやすい。そういう場所をつくりたいね、っちゅうのがあったんよ。場所も目抜き通りじゃなくてちょっと外れるとこよね。人はいっぱい来るけどよく分からんまま終わったんじゃ楽しくないやろ?

53歳にして新しいスタートを切った。

いつかしたいっていうのはずっとあったし、タイミング的にそれしかなかった。お金の問題もあるけど、欲求というか希望が強からんとエネルギーにはならんじゃん。ゼロから始めるっちゃけん、いろいろ大変たい。実際、開けてみたら思った以上にうまくいく部分もあれば、思った通りにならん部分も出てくる。


そんときにやっぱり、したいかどうかよね。辞めるか辞めんか。辞めたくないっていうのは、やっぱりしたいってことやけん。それが勝つけん続けられるっちゃないかな。

-ピンチはなかった?

辞めようと思ったのは割と最初の頃やね。最初は本当にうまくいかんで、5年くらいは貧乏暮らしっていう。金銭的な面で辞めたいっていうのはなかったけど、品揃えができんのと最初の3年間で頑張りすぎて燃え尽き症候群になって。


そのときに鮎川さんに相談にいったら「あなたは小さくても一国一城の主でやりよっちゃけん、それを大事にせんといかん」て言われた。そこではた、と。始めるときの苦労を考えたらね、今、悩みよることは小さい小さいってことになるわけたい。

-大切な人の言葉で乗り越られた。

その次はね、ネット時代よ。だって、お客さんはここに来ないでみんなネットで買うんよね。ほんでまあその、みんなYahoo!オークションとかで売ったりなんだりするけんレコード屋がいらんようになるわけよ。


子育て真っ最中のときやったら子どもを学校にやらないかんとか、進学させないかんとか考えたら悠長なことはできんったい。それが一段落ついて自分の身ひとつで好きなことをしていいっていう時期になったのが助かったね。


>>後編に続く

古林咲子
古林咲子

古林咲子 SAKIKO KOBAYASHI

古林咲子
インタビュアー、ライター。俳優、経営者、アーティスト、職人、子どもなどあらゆるジャンルの人に話を聞き、取材人数は1000人以上。「好きを仕事にしたひと。好きを仕事にしなかったひと」をテーマとしたインタビューをライフワークにしている。