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山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.11〜平和台の夢・続編

山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.11〜平和台の夢・続編

平和台の夢・続編


 80年代の終わり。南海ホークスがダイエーに身売りして、僕らの聖地、平和台にやってきた。ライオンズが福岡に戻ってくるのは夢物語だとわかっていたから、10年振りの地元球団は嬉しかったけれど、歴史ある南海ファンのことを思うと素直に喜べなかった。球団がなくなる寂しさは十分に知っていたから。


 でも、親会社がダイエーってとこが、それまでの球団っぽくなくて良かった。それにも増してユニフォームとヘルメットがこの世のものとは思えないほどダサくて(失礼)、妙にこころにヒットした。ちなみにグランドコートは背中に九州の地図がデザインされていて格好良かったんだけどね。


 そんなわけで、また僕の平和台通いが始まる。


 とにかく弱かった。勝っている姿が見たいという理由だけで、8回すぎて球場に駆けつけたことも何度もある。その弱さと垢抜けなさがとっても好きだった。


 特にライオンズとの試合は燃えたな。スタンドもファンが二分されてたし、どっちのファンかって飲み屋では踏み絵状態。バックスクリーンの裏のうどん屋あたりでよくファン同士が喧嘩してた。昔の彼女か、今の彼女か、みたいな。笑。僕も若干複雑な気分だったけれど。


 なんにせよ、秋山、清原、デストラーデ。体格が青い「馬」みたいなんである。もはや人類ではない。とうてい勝ち目がないのがわかっているから、僕はアヒルみたいなヘルメットのホークスを応援した。


 なんであれ、野球が好きなのだ。チケットを買って、階段を登り、視界が急にひらけて、広い空が見える瞬間。それが平和台で見る野球の醍醐味。


 僕らはFM福岡でレギュラー番組をやらせてもらっていたから、勝手にホークスの応援歌を作ってオンエアした。好きだったのはキレたら誰も止められない、けれど根は陽気なプエルトリカン、トニー・バナザード。「ファンク・バナザード」って曲を作ってプレゼントしたっけ。笑


 一番ハートを持っていかれたのは北九州が生んだレジェンド、カズ山本こと、山本和範さん。僕が最後に夢中になった野球選手。


 彼が苦労人であることは広く知られているからここでは触れないけれど、何が格好良かったって、「今打たなきゃ、いつ打つんだ」ってときに、彼は圧倒的に打つ。彼のヒットに興奮して、ライトスタンドのネットに登っている自分を発見したこともある。


 試合が終わってもファンに優しかった。平和台の風呂場の外からの「山本コール」に洗面器で局部を隠してでも応えてくれるような人だった。通称ドラさん。顔がドラキュラに似てるから。もうそんな選手、出てこないだろう。


 のちにテレビの「どっきり企画」で山本さんと電話で話した。キンチョーのあまり一言も話せなかった。なんてったってヒーローだからね。その後のライヴに、球団ではなく、彼の自宅から僕に花が送られてきて、会場に彼の大きな姿を見つけたときはほんとうに嬉しかった。


 こんな人になりたい、と。本気で思ったよ。だって、僕は野球選手にはなれないけれど、自分の道でこう生きなきゃって教えてくれた訳だから。


 いい時代だった。コンプライアンスなんてなくて、ちょっとダサくて、おおらかで。選手は身近に存在していて、平和台で僕らに夢を与えてくれる。


 赤坂を歩いていると聞こえてくるアナウンスと歓声、そしてカクテル光線。ツワモノどもが夢の跡。


 忘れられない。



追伸

 残念ながら「ファンク・バナザード」は発見できなかったのだけれど、1990年にSWING OUT BROTHERがリリースしたアルバム「ゲロンパ」に「がんばれダイエー」って曲を提供したのを思い出し発掘。楽しんでください。

がんばれダイエー(1990)
Swing-Out Brother
作詞 Butch
作、編曲演奏山口洋

叫び Butch & 渡辺圭一


山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.10〜平和台の夢

山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.12〜在日九州人として

山口洋
山口洋

山口洋 HIROSHI YAMAGUCHI

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ヴォーカリスト、ギタリスト、ソングライター、プロデューサー、そしてランナーにして、スノーボーダー。

1979年、福岡にてヒートウェイヴを結成。1990年、上京しメジャーデビュー。現メンバーは山口洋(vo.g)、池畑潤二(ds)、細海魚(key)。山口洋がソロツアーの旅で新たな曲をつくってバンドに持ち帰るというスタイルで、ほぼ全曲の作詞と作曲を担当する。1995年の阪神・淡路大震災後、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と「満月の夕」を共作。2011年の東日本大震災直後からは「MY LIFE IS MY MESSAGE」プロジェクトのさまざまな活動により、福島県の相馬をピンポイントで応援し続けている。仲井戸麗市、佐野元春、遠藤ミチロウ、矢井田瞳ら国内のミュージシャン、ドーナル・ラニー、キーラらアイルランドを代表するミュージシャンとの共演も多い。
http://no-regrets.jp