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長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第81回 #20 Thriller (1982) - MICHAEL JACKSON 『スリラー』- マイケル・ジャクソン

ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』(2003年発表・2012年改訂版)の上位100枚をレヴューするこの企画も、終盤戦に突入しました。・・・・・・とは言え、1位にたどり着くまでに、あと1年はかかりそうだけど。


20位には、マイケル・ジャクソンが放った、80sを代表するモンスター・アルバム『スリラー Thriller』がランクインしている。このアルバムのマクラには「ギネスが認定した世界でもっとも売れたアルバム」と付くのが普通だけど、その売上枚数には諸説ある。WEBでは15000枚というフレーズも散見されるけど、ギネスワールドレコーズは7000万枚という常識的な数字を採用している。いずれにせよ、AppleMusicSportifyといったストリーミング・サービスが完全に市民権を得たいまとなっては、この記録が塗り替えられることはまずないだろう。


「モンスター」という形容がふさわしい売れっぷりを記録したアルバムだし、実際、日本でもミリオン・セラーを記録しているので、「一家に一枚」な状況でもおかしくないのだけど、当時、筑豊の中学生だった僕の周りにこのアルバムを持っている子は一人もいなかった。収録曲9曲中7曲がシングル・カットされ、ラジオでかかりまくってたから、みんなエア・チェック(ラジオの音源をカセット・テープに録音すること)してたんだろう。僕もあえてアルバムを買う必要を感じなかった。



現在、僕が所持している音源は、2008年に発売された25周年記念盤『スリラー25 Thriller 25』。カニエ・ウェストがリミックスした「ビリー・ジーン Billie Jean』や、ブラックアイド・ピーズのメンバーがフィーチャーされた曲、未発表曲といったボーナス・トラックは正直言ってどうでもよかったのだけど、マイケル3PV、「スリラー Thriller」「ビート・イット Beat It」「ビリー・ジーン」を収めたDVDが付いているのがうれしかった。



その25周年からさらに13年がたとうとしている2021年、『スリラー』がどんなふうに響くか、改めて聴いてみましたよ。


前作『オフ・ザ・ウォール Off The Wall』(1979年・『史上最も偉大なアルバム』68位)で、一人の大人のアーティストとして自らの才能を開放し、R&B界を席巻したマイケル・ジャクソン。3年ぶりの『スリラー』で彼が目指したのは、R&Bにとどまらず、すべての音楽ジャンルの上に君臨することだった。「キング・オブ・ポップ」ってやつですね。



「捨て曲なし」ってよく言うけど、このアルバムと肩を並べる作品はなかなかない。すべてが全米トップ10入りしたシングル曲はもちろん、シングル・カットされなかった2曲(「ベイビー・ビー・マイン Baby Be Mine」「レイディ・イン・マイ・ライフ Lady in My Life」)も平均点は軽く超えるクオリティ。アルバムを通して聴くと、バラエティに富んでいてフックあり過ぎ。



それでも、アルバムのキモになるのは、やっぱり25周年記念盤にPVが収録された「スリラー」「今夜はビート・イット」「ビリー・ジーン」の3曲。アルバム中盤にこの順番で収録されている、まさに「核」と言える楽曲群だ。


この3曲はほかの曲とは違って斬新・・・・・・と言うか実に「ヘンテコ」。アルバム『スリラー』発表の翌年、「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」が相次いでシングル・チャートのトップに輝いたときも、3枚のシングルを挟んで「スリラー」がトップ5に食い込んだときも、少年だったおっちゃんは「どれもなんだかヘンテコな曲だなぁ」と思っていた。その印象は五十路になっても変わらない。


「ビリー・ジーン」は、クールなR&Bではあるのだけど、ストーカーを歌った内容も相まって、なんだか不穏な空気が支配している。エディ・ヴァン・ヘイレン(ノー・ギャラだったってホントかね?)のギターが炸裂する「今夜はビート・イット」は、ロックの切れ味とR&Bのグルーヴが一体となって、ヘンな高揚感をもたらす。一方、「スリラー」はPVありきの曲。聴けば自然と映像が浮かぶ。そして、楽曲自体はノベルティ・ソングと紙一重と言っていいくらいヘンテコ。



しかも、どの曲も中毒性がある。こんな曲、マイケル・ジャクソンしか歌えない。



この3曲がなかったとしても、このアルバムはヒットしただろう。しかしながら、これらの「ヘンテコ」な曲なしでマイケルが天下を獲れたかどうかはわからない。そのくらいのインパクトがこの3曲にはあった。



『スリラー』で見せたマイケルの変化は音楽面にとどまらない。アーティスト・イメージも劇的に刷新されている。『オフ・ザ・ウォール』のころのダンス好きの気さくな好青年というイメージは微妙に残しながらも、シニカルでハードな一面が強調される。


たとえば、アルバムのトップを飾る「スタート・サムシング Wanna Be Startin’ Somethin’」は、「なんかステキなことを始めるんやろーね、オープナーにピッタリ」とか長年思っていたんだけど、今回、ちゃんとリリックを読んでみると、実はスキャンダルに飢えたマスコミを揶揄する内容だった。タイトルの意味も「ネタを仕入れようと、またなんか仕組もうとしてんの(怒)」という、ゴシップ記者への嫌味。


「今夜はビート・イット」は、いめられっ子を励ます曲だという説もあるけど、本物のストリート・ギャングを起用したPVを観ちゃうと、サビも「やっちまいな!」と煽っているように聴こえる。


「子供にアピールする曲を書いて」とマイケルがロッド・テンパートンにリクエストしてできた「スリラー」も、PVPG12レベルのゾンビ描写。これを5歳のときに観たせいで、「マイケル・ジャクソン恐怖症」になってしまった女性がイギリスにいるそうだ。マイケルの歌を聴いたりポスターを見たりするだけで恐怖がフラッシュバックし、めまいや異常な発汗という症状に悩まされているという。困ったことに、両親は大のマイケル・ファンなんだって。。。


ポール・マッカートニーと共演した先行シングル「ガール・イズ・マイン Girl is Mine」は、小芝居もこそばゆいヌルめのAORナンバーだけど、”doggone”(「忌まわしい」「ちくしょう」という意味)という、品のない単語をリリックに使ったマイケルにポールも眉をひそめたそうな。


「ビリー・ジーン」は、前述した通りマイケルを悩ませたストーカーがテーマだと言われているけど、女性にだらしない男の言い訳とも取れる。いずれにせよ、セクシュアルなニュアンスを感じさせるのが、以前のマイケルらしくない。


こんな感じで、ジャクソン5時代に染み付いた「優等生」イメージから脱皮しようと、『スリラー』では、あえてネガティヴなイメージを押し出している。


確かに、「アブない」イメージは、ファンにスリルをもたらす。まさにアルバム・タイトル通り。続けて発表したアルバムに『バッド Bad』(1987年)、『デンジャラス Dangerous』(1991年)なんてタイトルを付けたのも、この延長線上だろう。



唯一無二な「ヘンテコ」なヒット曲と「アブない」感じへのイメチェン。この作戦はみごとに功を奏し、マイケルを世界の頂点に押し上げる。しかし、ここまでしなければ、マイケルは「キング・オブ・ポップ」の座に就くことはできなかったとも言える。



当時はさほど重要なことだとは思ってなかったけど(ポリコレなんて言葉もなかった時代)、「ビリー・ジーン」は、MTVが初めてオンエアした黒人アーティストのPVだった。つまり、80年代初頭の音楽業界では、黒人アーティストによる音楽は、決してメインストリームではなかった。すでにスーパー・スターだったマイケルの前にさえ、黒人であることによって生じる障壁がそびえていたのだ。


その壁を乗り越えるため、マイケルと彼のチームは綿密な戦略を立てる。マイケルが世界制覇を果たすためには、人種もジャンルも超越したアーティストとして生まれ変わる必要があった。ロックのようなR&Bのようなノベルティ・ソングのような「ヘンテコ」な3曲の狙いはここだ。あえてカテゴライズされないクロス・オーヴァーな世界観を提示することが重要だった。



戦略として象徴的なのは、『スリラー』発売前に元ビートルズのポール・マッカートニーとのコラボ曲をシングルとしてリリースしたこと。要は、マイケルは元ビートルズと同じ目の高さで共演することにより、自分がビートルズと同じくらい重要なアーティストであることを宣言した。


ポールだけじゃない。エディ・ヴァン・ヘイレンや、スティーヴ・ルカサーをはじめとするTotoの面々、「スリラー」を書いたロッド・テンパートンなど、白人アーティストの感性を絶妙にブレンドすることによって、『スリラー』は世界中で受け入れられるアルバムとなった。



すべては天下を獲るため。



そして、『スリラー』の大成功によってマイケルは「キング・オブ・ポップ」の称号を手に入れ、世界が彼にひれ伏した。マイケル・ジャクソンはマイケル・ジャクソン。圧倒的な才能の前に肌の色なんて関係ないと、中学生の僕らは教わった。



その後、整形したり、顔が白くなったりと、「マイケル、大丈夫?」な状態が、2009年に彼が亡くなるまで続くわけだけど・・・・・・。



振り返ってみると、マイケルと『スリラー』の功績は、思った以上に大きいものだった。アジア人でありながら、押しも押されもせぬトップ・アーティストの座にのぼりつめたBTSも、マイケルが切り拓いた路を歩いてきたと言える。


そんな偉大すぎるアルバム。BTSのアーミーも聴くべし。




おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★★








長谷川 和芳 KAZUYOSHI HASEGAWA

1969年、福岡県のディープエリア筑豊生まれの編集者・ライター。414Factory代表。メインの業務は染織作家の家人の話し相手。