Bigmouth WEB MAGAZINE

文化CULTURE

世界の果てで眠りたい Vol.2

世界の果てで眠りたい Vol.2

タコスを食べにいっただけなのに


12月にニューヨークを出発してサンフランシスコまで、真冬にアメリカ合衆国を横断した。ワシントンやシカゴ、メンフィスなど、北へ南へいろいろ寄り道をしながら、モルモン教の聖地ソルトレイク・シティでクリスマスを過ごし、年末にサンフランシスコへ到着。そこで友人と合流して、グランドキャニオンでなんとなく年を越して、国立公園をいくつかドライブしたあと、次のフライトがあるロスアンゼルスへ戻った。それで合衆国横断はフィニッシュである。

空港に友人を送り、車を返却してしまったら、することがない。ロスは、というより西海岸の街の多くは極度にモータリゼーションが発達しているので、車がないと動けない。フライトまではあと3日ある。さあどうしよう。ロスの観光地は過去にだいたい観てしまっている。じゃあメキシコにでも行ってみようか。真冬に凍えながら合衆国を旅していたので、メキシコの陽気さで心を温めたくなった。

そう決めて調べてみると、メキシコへの入国はとくに難しいことはなさそうだった。

長距離バスで南下して合衆国南端のサンティエゴへ行く。街の中心からトラムに乗って終点サン・イシドロへ。そのあとは歩いてメキシコへ入国できる。2泊3日の小旅行に、ちょうどよさそうだ。ロスの宿にバックパックを預けて、サブバックにカメラと着替えを入れてさっそくメキシコへ向かった。


格安バスに乗ってサンディエゴへ行き、トラムに乗り換えて苦もなく合衆国とメキシコの国境へ到着した。では、国境越えはこう簡単にいくだろうか。不法移民問題もあるし、入国管理所ではいろいろ質問されるかと覚悟したのだが、しかし出国・入国ともにどちらもスムーズで、ところてん式にすいすいと30分ほどで国境を越えることができた。

「メキシコを楽しんで来いよ!」

アメリカ合衆国の入国管理官は、そんなフェアウェルまでくれるフレンドリーさである。


メキシコ側の国境の町はティファナだ。

アメリカ側のサンディエゴと違い、治安があまりよくない。

武器をもった強盗や麻薬がらみの荒っぽい話も多く、犯罪率も高い。

そもそも、国境はどこでも、ある妖しさを内包している。

境界にはあらゆる人間が引寄せられ、それぞれの人生やら事情やら欲望やらがぶつかって、トラブルが博覧会的に飛沫をあげる。それが国境なのである。

お金を盗られるならまだしも、怪我でもしたらバカらしいので、今回はティファナには立ち寄らず、そのままよその町へ移動することにした。地図の中から、ここならちょうどよいと選んだのが、国境の南70キロにある「Ensenada(エンセナダ)」という町であった。

エンセナダハバ・カリフォルニアの港町だ。クジラやホオジロサメが観察できるという穏やかな海。南国の植物が茂る渓谷。洞窟と間欠泉と砂漠など、自然がとても豊かな地域にある。海岸沿いでは乗馬などもさせてくれる。“メキシコのワイン中心地”でもあるそうで、ワイナリーツアーが人気である。

ワイナリーツアー。

そういった優雅な響きをもつアクティビティこそ私にふさわしい。

そう軽やかな気持ちになったが、旅が長くなり財布の中身も軽やかなので、お金のかかるツアーは老後にとっておくことにしよう(そうやって先送りした老後の予定が、今ではかなりたまっている)。結局、町をあてもなくぶらつく、いつもの旅となる。そしてメキシコは、町をぶらつくだけで楽しめる国なのである。

町はいつもエネルギッシュに活動している。メキシカンは基本的に陽気で、人懐こく、エネルギッシュで、見返りなしに旅人とお喋りをして楽しませてくれる。安くてカワイイ雑貨はお土産に最適だ。そして何より、財布の中身が軽くても美味しいものが食べられる。

メキシコにはB級グルメは数多く、町のいたるところに屋台がマラソンの給水ポイントのように用意されている。ケサディージャ、エンパナーダ、トスターダ、エスキーテ。

そんなB食の王様は、もちろんタコスだ。


とうもろこしで作られた生地トルティーヤの上に、ピリ辛のひき肉や魚介などを野菜と添えて、香辛料をかける。シンプルかつ完成されたスナックである。そもそも、tacoは、スペイン語で「軽食」という意味である。その複数形がタコスなのだから、まさしくタコスは軽食の代表選手といえる。

タコスはこのメキシコで愛される国民食で、生活にしっかり組み込まれている。町のいたるところにタコス屋はある。ガソリンスタンドよりも、コインランドリーよりも、滑り台よりも、タコス屋を探しあてるほうが簡単だ。イタリア人が生活の節目にカフェでエスプレッソをグイっと飲っていくように、メキシコ人はタコスにガブりと齧りついてゆく。勤め人であれ、フリーランスであれ、主婦であれ、老人であれ子供であれ、セレブであれ、仕事をしているのかどうかよくわからん輩たちまでみんな、羽を休める鳥のように屋台に立ち寄り、タコスを腹におさめていく国なのである。

彼らにまじって屋台でタコスを食らう瞬間は、メキシコの旅の歓びそのものだ。

屋台へ立ち寄ると、メキシカンたちの好奇でくったくない視線を浴びる。旅行者だろうと容赦なくしゃべりかけられて、スペイン語がわからずともなぜか会話は成り立ち、笑い声があがり、男達の胸毛と、肉のうまみと香辛料の刺激と、間欠泉のように噴きだす彼らの感情と、町の埃っぽい空気と騒音に包まれる。タコスを食べることは、メキシコの地肌に触れることである。そんな旅の一場面で、生きている実感が沸いてくる。


バスはエンセナダに到着した。

人口は50万人。

鹿児島市ほどの人口だが、町の規模は小さい。



高いビルはあまりなく、四角いコンクリ2階建ての、お互い寄りかかっていないと倒れてしまいそうな家屋がダラダラと連なって町が拡がっている。

バスを降りても宿の客引きの姿はなかった。近くに手頃なゲストハウスもないので、仕方なくモーテルのひと部屋にチェックインする。

室内はベージュを基調とした落ち着いた内装だった。モーテルであれども、そこまでやる気に満ちていないところが、宿泊の決め手となった。ただ部屋の片隅にある妙な形をした真っ赤なイスだけが、私の知らない遊戯の存在をほのめかしている。いったいどんな使い方をするものなのか。気になる。


荷物を置いて、さっそくタコスを食べにカメラをつかんで部屋をでる。廊下で強い香水をつけた女性とすれ違った。その女性のハイヒールは、あの謎の椅子みたいに真っ赤であった。

外にでると、陽は町の西へ傾きだしていた。スムーズな旅だったが、やはり国境越えは時間をとられる。



メキシコ人の営みは、路上からでもわかる。というのも、どの商店もオフィスも、ドアが開け放たれていて、簡単に中をのぞけるからだ。金属製のケーブルなどを扱っている商店の薄暗い店内で、若いメキシカンが熱心に書類に向かって書き物をしている。とても集中しているので、メキシコ人も案外勤勉なのだなと見直したりもする。一方でそれを邪魔するように、2ブロック先まで届くような叫び声が聞こえる。丸々と太った女性が、道に向かって誰かを呼んでいる。届いているのかいないのか、関係のない犬だけが興奮してしきりにそれに応えている。どこからか肉を焼く匂いがして、それが側溝からの下水臭などとまざって雑多な香りとなる。靴磨きの店に男達が溜まって話をしている。今日の天気の話でもしているのか、遠い昔の話をしているのか。身振りをまじえて音楽のように途切れなく話すので、こういうのは眺めているだけでも飽きない。


タコスの屋台があったので足を止める。

母娘でやっているようだ。

娘はまだ若く、手慣れて元気よくスナックを揚げている。


母親に牛肉のタコスを注文すると、手際よく作られたタコスが差し出される。トマトソースがどっさりのせられていて嬉しい。


タコスは単純な料理だが、やはり本場のものは美味しい。

その違いは技術というよりも、材料にあるようだ。

肉の質、玉ねぎの辛味、スパイス類はもちろん、何より具を包むトルティーヤの風味が違う。とうもろこしの粗い風味とほのかな甘み。そしてさらにかすかな苦味など、原料のとうもろこしと水と塩は(なんなら空気も)、その土地にしかないわけで、日本では再現できない。夢中でタコスを平らげて、町を歩くとまたタコススタンドがある。



立ち寄って、タコスを注文する。パストール(豚肉)と玉ねぎと大量のコリアンダー。タコスの具の定番であり、これに赤や緑のサルサ(ソース。緑は辛い!)や、ライムを搾るなどして、自分好みの味にする。具の種類は肉類から海産物、内臓やキノコや内臓など、それこそ無数にある。昆虫を具にする地域もあるそうだ。ぜひ食べてみたい。

タコスにかじりつきながら周りの人と片言のスペイン語で話をする。たわいのない言葉を交わすだけでも、すぐに笑いが生まれる。

彼らは私たちがいるタケリーヤ(タコス屋)のタコスが一番うまいと言う。どこの屋台に行っても、彼らはいま食べているタコスを一番と言う。タコスの本場メキシコでの一番は、つまり世界一でもあるだろう。彼らは毎日世界一美味なタコスを食べていることになる。うらやましくなる。

旅人はどこに泊まっているのかと聞かれることがある。それでモーテルで撮った写真を見せる。それでいたずら心で、あの赤い椅子は何に使うのかと男達にきく。メキシコの男達は下ネタが大好きなので、大喜びで説明をしてくれる。動作もまじえて熱心だ。それでもやはり、イマイチよくわからないのだが、しかしみんな楽しそうなのでよしとしよう。

そうやってタコスを食べ歩き、メキシコの夜は暮れていく。


モーテルに戻ってあの赤い謎の椅子に座ってみた。タコススタンドでの話の断片をたよりに私なりに工夫をしたが、体が変な形になるだけでちっとも盛り上がらない。

しばらく座っていれば、なにかしら性なる境地に達するかもしれない。しかしそこに辿り着くには時間がかかりそうなので、諦めてベッドで眠った。

そして翌日になって、やはりタコスを食べ歩き、そしてメキシコを満喫してアメリカへ戻ったのであった。



・・・となればよいのだが、そんな簡単に終わらないのが、中南米の旅である。


エンセナダの町も二日目。今日もまたタコスめぐりだ。

この日の夜には、国境を越えてサンティアゴから夜行バスでロスに戻る予定である。



玉ねぎソースや、赤や緑のサルサ(ソース)をかけて、自分好みの味にする。



タコスは一個、100円もしない。


タコスを食べ歩いて、いつのまにか町の外れまでやってきた。

片側4斜線ほどの太い幹線道路が住宅街を寸断していて、そこから先は“アウトスカート(町のはずれ)”といった風情となる。その先は住民しか用事がないエリアで、そういう場所を歩かないと見れないものもたくさんある。

まっすぐ伸びた横断歩道の前に立つ。走行していたピックアップトラックが、横断歩道の手前で停止してくれた。ドライバーのメキシカンは、日焼けした肌にオリーブを塗ったような濡れる巻き毛が印象的な中年男だった。

巻き毛のドライバーは、ハンドルを放して紳士的な動作で私に横断歩道をわたるように促してくれる。

紳士的動作には紳士的に返すのが私の流儀なので、こちらも美しく手をあげ彼に応え、横断歩道を渡る。その瞬間、ピックアップトラックの影からもう一台、車が走行してきて私の足に衝突した。私はバレリーナのように回転し、衝撃と痛みでうずくまった。

紳士的な巻き毛のドライバーは、そんな私の様子を確かに見ていた。しかし大したことではないと判断したのか、かかわるのが面倒だとしたのか、そそくさと車を発進させて消えていった。彼を紳士と呼んだことはここで撤回する。

さて私の足をはねた車はどうしたか。

スピードを緩やかに落として、50メートル先で殺虫剤をかけられた虫の様に停止した。

黄ばんだシャツの親父が通りかかって、倒れている私に手をかしてくれる。

私は足を轢かれたことをつたないスペイン語で話すが、ちゃんと伝わっているだろうか。

シャツの親父はとりあえず私を歩道にひきずっていった。ナイスジャッジ。グラシアス。


遠くで、私をはねた車のドアがやっと開く。

ドライバーは中年の女だった。メキシカンらしくたるんだ腹をぴったりと目立たせた薄いピンク色の安パーカーを着ている。彼女は遠くからこちらを不安げに眺めている。まるで変質者を遠まきに観察しているようである。失礼だ。

私を介抱するシャツ親父が大声で女を呼んだ。二言、三言声をかけてやっと、女は私が危害を加えないと理解したようで、恐る恐るこちらへ近寄ってきた。危害を加えられたのは私の方なのに、おかしな話である。

少しづつ近よってくる女を見ながら、シャツの親父は私に言った。

「轢いた車が逃げずに停まるなんて、奇跡だぜ」


数分後、英語が話せる学生も加わって細かく面倒をみてくれた。

警察もわりと早くやってきた。

足は腫れて痛みは強く、病院に運んでもらうことになる。

救急車ではなく、私をはねたドライバーが病院まで運ぶという。

どうしてそうなったかはわからないが、とにかく事はそう運んでいった。

そういうわけで私は自分にぶつかった車の後部座席に乗って、アクシデントの現場を後にした。警察が事故の処理をどうしたのかはよくわからない。


病院へ向かう。

フロントのバックミラーに小さなロザリオがかけられていて、それが催眠術の道具みたいに揺れている。

ミラーに映る女は終始黙っていた。浮かない顔だ。ただ、心を痛めている、というよりは困っている、といった様子だ。ミラーの顔はこう語る。「ああ、運命はどうして、私をこんな窮地に陥れたのでしょう。神よ、教えてください」と。

私は心の中でつぶやく。「神様、それは私の台詞です」と。


車は市街に戻りつつある。

女は英語をほとんど話せず、こちらは南米の旅で憶えたつたないスペイン語だ。

「病院までどれくらい?」

私はとにかく、はやく医者に見てもらいたい。

「すぐそこよ」

ラテンの国での“すぐそこ”は、インド人の「マイ・フレンド」と同じくらい信用ならない。女は続ける。

「でも、そのまえにちょっと家に寄りたいの」

「家?あなたの?」

きき間違えたかと思い、私は聞きかえした。

「ええ。妹を買い物に連れていきたいから」

私は彼女の言葉がうまく理解できていなかった。接触事故で怪我をさせた人間を病院へ連れて行くことと、妹を買い物に連れて行くことが同時におこる事実が呑みこめていない。それでも旅人というものは、起こった状況はまず受け入れてすぐに前に進もうとするものだ。

「あなたの家は近いの?」

「病院よりも近いわ」

「わかった。家に寄ってもいいよ。でもまずは、病院。買い物は後で」

「ええ。ええ」

女は相変わらず困ったような顔でミラー越しに返事をしてから、携帯電話をぎこちなく取りだして熱心に話をはじめた。また事故を起こさなければよいが。


車は路地に入った。

狭い路地だ。地面のアスファルトはほとんど剥げかけていて、おしるこのような泥水があちこちにたまり青い空を映して光っている。

路地の両脇にはマッチ箱のような白壁の家が並んでいて、うがたれた窓枠には鉄格子がはめ込まれている。鉄格子は錆びていて、タバコで汚れた前歯が並んでいるようだ。

車は一軒の家の前でとまった。部屋のどこにいてもエンジンの音が聞こえるのだろう、すぐに人がでてきた。

妹は二人いた。それぞれ助手席と私の隣にそれぞれ乗りこんでくる。

「こんにちは」

二人は私に挨拶と好奇の視線を投げて、あとはこちらに話しかけることなくしっかりと前を向いた。

妹達はドライバーの女とよく似ていて、若いがやはり身体がたるんできていている。

そのたるみは、時と場合によってはチャーミングなだらしなさとして魅力にもなるが、今回はただ狭い車内がさらに狭く感じるようになっただけだった。

白状すれば、私はこっそり絶世のメキシコ美女を期待していたのだ。しかしそうはいかなかったようだ。旅の神様はいつも旅人に、たくさんの幸運と偶然を授けてくれるのだが、あつかましすぎる願いはだいたい却下されるのである。

失望のせいか足はさらに痛み出してきて、私は塞ぎこんで窓の外を眺めた。


お喋り好きのメキシカンだが、さすがに私に遠慮しているようで車内は静かだった。

しかしそれが続いたのもの、ほんの5分ほどだった。いよいよ耐え切れなくなったのか、信号待ちでドライバーの女がそっと、ラジオのスイッチをいれた。

アップテンポのメキシカンポップが流れる。

最近のヒットソングらしい。

私の隣の妹Aが、ちいさく曲を口ずさみ始めた。

最初はハミングする程度だった。助手席の妹Bがそれに加わると調子があがってきた。そしてついにドライバーの女も加わって、車内はメキシカンポップの合唱となった。

うまくはないが、元気が良い。小学生の合唱大会なら満点をあげられる。彼女たちは私を元気付けようとしてくれるのか、自分たちを励ましているのか。それとも、いつものように買い物途中で歌っているだけなのか。単に辛気臭いのが耐えられなかっただけかもしれない。なにせ元々、何事にも深刻にならない国民性でもある。どんなことでも”ni modo(しゃあないな)“で片付けてしまう人たちである。微笑みの国・タイに近い。

ここで白状するが、実は、私は心の底ではとても感動していた。

怪我を負わせた男を病院に運んでいる途中で、痛みをガマンして病院での治療を待つ男と、軽快にメキシカンポップを歌う姉妹たち。結婚式と葬式を同じ会場でやっているようなものだ。日本ではありえないだろうが、世界ではやはり想像しないことが起こるものである。こういうことが起きると、私は心の壁に新しいドアが大きくひとつ開いたような気持ちになる。そのドアからはそれまでとは違った景色が見れ、新鮮な風も吹き込んできて爽快なのだ。私は、そんな感動を求めて旅をしている。

曲は二番に入った。彼女たちはしっかり歌い続ける。

こうなったら私も、彼女たちと肩を組んで私も合唱をはじめようか。

などという境地にまで、私はまだ達しきれていない。

だから私は無愛想なまま、大きな感動と割り切れなさを感じながら、車窓を眺めていたのだった。



車は病院についた。

女医はまだ若く、英語を話す。

アメリカのボルティモアにある病院に勤めていたことがあるらしい。ボルティモアから来た女。古い曲に出てきそうな響きである。

医者は姉妹たちから事情をきき、私からは症状を聞き、そしてマンゴーの熟れ具合をみるように私の足を撫でたり押したりした。

「骨は折れていないようだけど、打ち身と捻挫があるわね」

それは私の予想通りの様態であるが、骨が無事でよかった。

ボルティモアにいたことがある医師は、最後にこう付け加えるのを忘れなかった。

「あの人がちゃんと停まってくれて、あなたは幸運よ」



足を包帯で固定し、靴は履けず松葉杖を購入することになった。

しばらくは片足で旅をしなければいけない。そんな状況でも幸運という形容詞がつくのだから、幸運は奥が深い。

姉妹は治療費を払うと言った。私が治療費は旅行保険で賄えることを伝えてもらうと、姉妹達はとても喜んだ。

それより私には、治療費よりも他にひとつだけ要望があった。

私はドライバーから謝罪の言葉を聞きたかった。彼女と私はろくに話もしておらず、彼女は私にまだあやまっていない。

「彼女の謝罪ががききたいんだ」

医者はそれを訳してくれたようだが、女はうろたえるばかりだ。

そんなに謝罪が大変だろうか。世界ではイロイロな考え方があるだろう。しかし人に怪我をさせたら謝る、というのはそんなイロイロとは別次元の、人の基本のように思う。

「どうして彼女は謝らないの?」

私は医師に問う。医師は肩をすくめる。

「その言葉を聞けば、俺は納得してアメリカに戻る。車で人にぶつかって、怪我をさせて、それで謝らないなんて」

医師はもう私の言葉は訳さずに、首をふる。

私はさらに言葉を重ねる。

「一言、あやまるだけなんだ。その人間性は、メキシコにはないの?」

今思えば私は、自分がまるで人類代表にでもなったかのように話していた。

医師はそんな私をぴしゃりとはねつける。

「Grow up 大人になりなさい」

それだけ言うと、医者は去っていってしまった。

私は取り残された。

翌日にはロスからフライトがあり、今晩中に合衆国へ戻らないといけない。私は松葉杖をつかんで国境へと向かった。

国境に着いたころには、もう陽は暮れていた。

入国したときは、まさか松葉杖をついて戻るとは想像もしなかった。

気分も晴れないまま、メキシコに別れを告げ、合衆国側へと入る。

入国管理官は、偶然にも行きに来たときと同じ男だった。

「おい、その足どうしたんだ」

私のことを憶えているかはわからないが、入管の男は人懐こく大声でそう聞いてきた。

「車にぶつけられた」

私はため息交じりにそう応えた。入管の男は目を丸くして、そして笑った。

「メキシコだな!」


サンディエゴのバスターミナルに戻るトラム。シートでやっと落ちつくと、動きで紛れていた足の痛みに気が向く。心臓の鼓動にあわせて、痛みが踊っている。包帯で太くなった足を見れば、タコスだけではなくいろいろなメキシコを味わった気がしてくる。


医師の言葉を反芻した。

「Grow up大人になりなさい」

私はまだ子供だったらしい。

自分の欲求を周囲に通そうとしすぎだったのだろうか。私も、異国を旅してきて、日本では考えられないようなさまざまな状況を、受け入れてきた。それである種の哲学も身につけたつもりだったが、まだまだ心が狭かったということだろうか。自分の信じる人間像を他人にも期待するのは、傲慢で意味のないことだろうか。

もっとユーモアがあればよかったのかもしれない。ストレスは自分を苦しめるか、他人への攻撃に変わる。ユーモアはそれをうまく解毒してくれる。車中で肩をくんでメキシカンポップを歌うべきだったろうか。足は痛いが、美人三人に囲まれて不幸中の幸いだと、笑ってみればよかっただろうか。

今でもときどき考えるが、まだうまい答えが思いつかない。


それともう一つ。

モーテルにあったあの赤い椅子の使い方も、まだよくわかっていない。

誰か知っている方、詳しく教えてください。


森 卓也
森 卓也

森 卓也 TAKUYA MORI

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六本松 蔦屋書店 旅のコンシェルジュ
旅の書籍の選定、旅の相談、
旅および他ジャンルとのイベント企画、
各媒体への寄稿、メディア出演など、
旅に関わるすべてが業務範囲。
世界3周、127カ国トラベラー。
現在も月に1度は海外へ行く旅バカ。
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