山口洋(HEATWAVE) |博多今昔のブルース Vol.42〜魚を喰らう恩義
何を隠そう、不肖わたくす。玄界灘の飛沫を浴びて育っておきながら、30歳を過ぎるまで魚がまったく喰えなかったのです。幼き頃、母親に無理やり喰わされた「鯖の味噌煮」がトラウマになったのが原因。以来、焼き魚は焼死体、煮魚は溺死体、干物はミイラにしか見えず、生魚を食らうなんてとんでもなかったのdeath。
そんなオレを哀れに思って、「これが食えんのなら、一生魚は食わんでよか」と鮨の名店に連れてくれていった人がいたのです。忘れもしない。長浜のすぐそばにある「Y」というお店。
なんだか、オレが知っている鮨屋と違う。まずメニューがない。完全予約制で、ほぼ小さなカウンターのみ。客はネタを選べないらしい。つまりイニシアティヴは大将が全面的に握る。博多なのに江戸前。とても「仕事」をした鮨。素材に頼らないというより、良き素材を丁寧な「仕事」によって異次元の食べ物へと昇華させる感じ。
大将と給仕係の男性二人きり。語尾がヘン。数分後に気づいた。たぶんゲイなんだろう。無論ゲイに偏見なんてあるわけなもなく。というよりゲイ諸氏のセンスの良さに日頃から脱帽することが多かったしね。
大将にオレがまったく魚を食えないことを伝えた上で、宴が始まる。大将も魚が食えないやつが鮨屋に来たってことで腕が鳴った様子。フツー、そんなやつ来るなって話だけれど、面白がってくれる懐の深さ。
最初に食ったのがなんだったのか、もう忘れてしまったけれど、超ド級に美味かった。たまげたね!魚って美味いじゃん!江戸前ってのも幸いしたんだと思う。苦手な魚臭さがまるでなかった。てか、芳醇じゃねーか。
アイ・オープナー!まさに開眼。出された鮨はすべてたいらげた。つまりたった1日で魚嫌いを克服したってわけです。
もう30年も前の話だけれど。
あの日がなけりゃ、博多名物ゴマ鯖も喰えずに人生を終えていた可能性が高い。それって人生の損失じゃん。
ちなみに。その店、調べてみたらまだあった。名店として君臨してるみたいだけれど、代替わりして、女性のお弟子さんが引き継いでる模様。あの大将なら、そういう垣根、飛び越えていくだろうな。笑。
これもまたオレを育ててくれた故郷の思い出。好きだった店が軒並み消えていく中で、30年ぶりにふらっと訪ねてみようと思っているですだよ!
ヴォーカリスト、ギタリスト、ソングライター、プロデューサー、そしてランナーにして、スノーボーダー。
1979年、福岡にてヒートウェイヴを結成。1990年、上京しメジャーデビュー。現メンバーは山口洋(vo.g)、池畑潤二(ds)、細海魚(key)。山口洋がソロツアーの旅で新たな曲をつくってバンドに持ち帰るというスタイルで、ほぼ全曲の作詞と作曲を担当する。1995年の阪神・淡路大震災後、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と「満月の夕」を共作。2011年の東日本大震災直後からは「MY LIFE IS MY MESSAGE」プロジェクトのさまざまな活動により、福島県の相馬をピンポイントで応援し続けている。仲井戸麗市、佐野元春、遠藤ミチロウ、矢井田瞳ら国内のミュージシャン、ドーナル・ラニー、キーラらアイルランドを代表するミュージシャンとの共演も多い。
http://no-regrets.jp