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長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第80回 #21 The Great Twenty-Eight (1982) - CHUCK BERRY 『グレイト・トウェンティ・エイト』- チャック・ベリー

長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第80回 #21 The Great Twenty-Eight (1982) - CHUCK BERRY 『グレイト・トウェンティ・エイト』- チャック・ベリー

今シーズンのNHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』は、現代劇だからなのか、視聴率が1618%と比較的苦戦している様子。主人公、百音(愛称モネ)役の清原果耶の演技も賛否両論で、「ポカンとした表情を見るとイラッとする」なんていう声もあるみたいね。個人的には、言語化できないモヤモヤした感情を抱えたキャラクターを、うまく演じていると思うんだけど。


さて、モネが勤める気象予報会社の同僚に神野マリアンヌ莉子という女性がいる(演じるは、福岡のモデル事務所「カバーガールエンタテインメント」出身の今田美桜)。名前から察するにハーフなのか。容姿にも恵まれ、なに不自由なく育った、野心満々の気象予報士という役どころだ。


このマリアンヌ、ニュース番組の気象キャスターとしてデビューしたのはよかったのだけど、なぜか視聴者の信頼を得られず、視聴率は低下。思い悩む日々が続く。そんなある日、彼女はモネにこんな言葉を漏らす。

「ツラい経験をした人は強い。自分にはなにもない。これまでハッピーに生きてきたから」(意訳)。


どっかで同じようなこと言っている人がいたよなぁと思い返してみると、まさに今回のお題、ロックン・ロールのオリジネイターの一人、チャック・ベリー御大、その人だった。


曰く「俺もブルースをやりたかったんだけど、俺の人生にはちょっとブルースな側面が足りなかったんだよね。俺って、マディ・ウォーターズみたいなツラい経験してないしさぁ」



ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』2003年発表・2012年改訂版21位は、チャック・ベリーが1955年から1965年の間にリリースしたシングルを集めたベスト盤。聴いてみると、「ブルースが足りなかった」という本人の弁も納得の「明るさ」「屈託のなさ」。


それもそのはず。チャック・ベリーは、マディ・ウォーターズのようにプランテーションでこき使われていたわけではなく、アメリカ中西部セントルイスの中流家庭の育ち。大工の父ちゃんが働き者で暮らしぶりは良かったようだ。高校時代にバンド活動を始め、ギターの腕を磨き、1955年、マディの口利きでチェス・レコードと契約すると、デビュー曲の「メイベリーン Maybellene」はいきなり全米チャート5位に食い込む大ヒット。


デビューしたときすでに29歳と、遅咲きではあるけれど、順風満帆と言っていい人生。


「メイベリーン」は、ブルースではなくむしろカントリー調だ。スタッカートの効いたギターが曲に疾走感をもたらす。その後も、チャック・ベリーはギター・リフを主体としたシングル・ヒットを量産し、ロックン・ロールを音楽シーンのメイン・ストリームに押し上げた。



知らんかったけど、実は、チャック・ベリーの音楽は、サウンドだけではなく歌詞でも評価が高い。ジョン・レノンはチャック・ベリーを「ロックン・ロールの詩人」と評している。


歌詞を読んでみると、確かにおもしろい。「メンフィス・テネシー Memphis, Tennessee」は、オチが効いたコントのような構造。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)でもおなじみの「ジョニー・B・グッド Johnny B. Good」は、貧しい黒人少年ジョニーがギターと出会って成功を夢見るストーリー。「バイ・バイ・ジョニー Bye Bye Johnny」はその続編で、成功したジョニーを故郷から送り出す母親の回想。このあたりのナンバーでは、彼のストーリー・テラーぶりが遺憾なく発揮されている。



加えて、「恋とクルマとダンス、そしてロックン・ロール」というアメリカの青春を体現するキーワードを散りばめることで、ティーン・エイジャーの熱烈な支持を獲得する。


「メイべリーン」の主人公はイカした彼女を追いかけてフォードをぶっ飛ばすし、ビートルズの「カム・トゥゲザー Come Together」の元ネタ「ユー・キャント・キャッチ・ミー You Can’t Catch Me」もハイウェイで空を飛ぶようにクルマを走らせる話。「リーリン・アンド・ロッキン Reelin’ & Rockin’」は、ロックン・ロールに身を任せて踊る若者たちを描いている。「ロックン・ロール・ミュージック Rock and Roll Music」はタイトル通り、「モダン・ジャズの時代は終わった」と宣言するロックン・ロール讃歌だ。


ここで描かれたアメリカン・ライフは、当時のアメリカ人にとってもまぶしいものだったに違いない。だからこそ、大きなインパクトを持ちえたのだ。



チャック・ベリーがデビューして間もなく、彼が放ったインパクトは大西洋を越える。1957年には「スクール・デイズ School Days」が全英チャート24位のヒット。「メンフィス・テネシー」は1959年に最高6位を記録した。ビートルズやザ・ローリング・ストーンズの面々が若き日にチャック・ベリーの音楽に熱狂。デビュー後、好んでレパートリーに取り入れたことは周知の通りだが、メンフィス・テネシー」は両バンドともカヴァーを残している。


矢沢永吉の原点となったバンド、キャロルは、デビュー前の時期のビートルズをモデルとしていた。リーゼントを革ジャンのスタイルもハンブルクの場末のクラブで演奏していたビートルズを真似たもの(魔改造によってヤンキー臭が強くなったけど)。必然的に、彼らはビートルズがカヴァーしていたチャック・ベリーに辿り着き、デビュー・アルバム『ルイジアンナ』(1972年)では、「メンフィス・テネシー」と「ジョニー・B・グッド」をカヴァーすることになる。



「メンフィス・テネシー」、日英で人気が高い。



ストーンズの場合、デビュー曲がチャック・ベリーの「カム・オン Come On」のカヴァーだもの。「そうか、そんなに好きだったのか」と思うよね。でも、メンバーはもっとR&Bぽい曲でデビューしたかったんだって。レコード会社に圧力をかけられ、その提案を渋々飲んだ結果なんだそうだ。



そうなんだよね、チャック・ベリーの音楽は、「黒く」ない。そして「熱く」ない。彼のシングルは当時のR&Bチャートでも上位に入っているので、黒人にも聴かれていたはずだけど、彼同様にロックン・ロールの創始者に数えられるリトル・リチャードやファッツ・ドミノと比べても漂白された感じ。


ほかの黒人アーティストにはない、この独特のフィーリングの理由は、彼の音楽遍歴を辿れば見えてくる。



チャック・ベリーがソロ・デビューする前に在籍したバンドは、白人の客を前にヒルベリーやカントリー&ウェスタンをおもに演奏していた。この経験が、チャック・ベリーのなかで化学反応を起こし、ロックン・ロールが生まれたことは否定できない。


問題は、この時代の活動がチャック・ベリーに”マーケティング癖”を付けてしまったことじゃないかと思うのだ。


『おかえりモネ』のマリアンヌも同様の問題を抱えている。こう振る舞えばチヤホヤされる、こんな発言をすれば評価される、それが透けて見えるマリアンヌは気象キャスターに抜擢されても、視聴者からは信頼されない。


チャック・ベリーの場合、アマチュア時代は目の前の観客に迎合することを第一に音楽をプレイしてきた。そして、その傾向はデビュー後も続く。実際に白人リスナーを意識的にターゲットに置いた曲作りをしているのだ。「ジョニー・B・グッド」の主人公も、黒人であることがわかるワードは改変されたらしい。その方が白人にも広く受け入れられるしね。


この”マーケティング癖”のおかげでロックン・ロールが大きな流れになったとも言えるので、否定はできないんだけど、なんだか、モヤモヤする。


歌詞にしてみても、すべてがファンタジー。よくできた小噺。だからこそ、三十路に足を突っ込んでもティーン・エイジャーの欲望を表現できたわけだけど、そのぶんリアルな手触りには欠けている。


マリアンヌが言うように、ツラい経験をしてれば良いってもんじゃないとは思うけど、結果的に、チャック・ベリーの「明るさ」や「屈託のなさ」が、悪い意味での「軽さ」に繋がっている気がする。なんだかお行儀が良すぎて物足りないし。チャック・ベリーのステージはダック・ウォークが有名だけど、同時期に活躍したエルヴィス・プレスリーの「ワイセツ」と言われたパフォーマンスに比べるとおとなしいもんだ。



つまり、そつがないがゆえに、感情移入するのが難しい、チャック・ベリーもマリアンヌも。



チャック・ベリーのロックン・ロールは、2021年に聴いても、粋な感じはするし、味わい深いナンバーもなくはない。上に書いたようなことだって、「ロックン・ロールなんてしょせんはファンタジーだから」と言ってしまえばそれまでかもしれない。


しかし、正直なところイージー・リスニングとしてしか、おっちゃんには響かなかった。ビートルズやローリング・ストーンズ、キャロル(AppleMusicでは聴けないけど)のカヴァーを聴く方が熱気を感じるし、ワクワクするかもしれないなぁ。




おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★





長谷川 和芳
長谷川 和芳

長谷川 和芳 KAZUYOSHI HASEGAWA

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1969年、福岡県ディープエリア筑豊生まれ。開店休業中の雑誌編集者。九州ウォーカー、某弱小エアラインの機内誌の編集長を経て、なぜか今は京都の旅館の運営が業務の中心。あと染織作家である家人の話し相手など。