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長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第84回 #17 Nevermind (1991) - NIRVANA 『ネヴァーマインド』- ニルヴァーナ

長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第84回 #17 Nevermind (1991) - NIRVANA 『ネヴァーマインド』- ニルヴァーナ

当時の職場に配達された夕刊の三面記事で、ニルヴァーナのカート・コベインが、ショットガンで自分の頭を吹き飛ばしたことを知った。日付はいつだったのかな? 遺体が発見されたのは199447日だから、その翌日だったんだろうか。


同じ会社にロック好きな同僚がいた。ちょうど彼から内線がかかってきたので、カートの死を知らせると、すごく取り乱していた。


僕はといえば、やるせなさを覚えながらも、「やっぱり死んじゃったか」とぼんやりと記事を眺めていた。その前からカートの言動には「死」のにおいが漂っていたから。



ニルヴァーナの最後のスタジオ・アルバム『イン・ユーテロ In Utero』がリリースされたのは、カートの死から遡ることおよそ7か月前の19939月。


アルバムを覆う空気は重く陰鬱。ヴォーカルもなんか余裕ない感じでヒリヒリする。一方でサウンド自体は粗削りで、投げやりな印象も与えた。このあたりはプロデュースに起用されたスティーヴ・アルビニのディレクションによるものか。


歌詞は、「レイプ・ミー Rape Me」や「オール・アポロジーズ All Apologies」といったナンバーに顕著だけど、自虐的な内容が目立つ。自己嫌悪、幼少期から抱えているトラウマ、慢性的な体調不良、人生を奪われた悲劇の女優の物語などなど、このアルバムから発せられるヴァイヴがあまりにネガティヴで、多くのファンは途方に暮れたのだった。


「カート、大丈夫かいな?」


薬物治療がうまくいってないとか、MTVアワードの授賞式でモメたとか、カートの不安定な精神状態を示唆するニュースには事欠かなかったし、上述した通り『イン・ユーテロ』はその精神の闇を垣間見させるような一作だったこともあり、いつか彼が最悪の決断をするんじゃないかと、僕は危惧していた。


ショットガンで頭を吹き飛ばすとか、ホント最悪だ。



カートをここまで追い詰めたのは、ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』(2003年発表・2012年改訂版)18位にランク・インしたニルヴァーナのセカンド・アルバム『ネヴァーマインド』の桁外れの成功だったと言われている。


そんな記述を目にするたびに、僕は正直言って戸惑いを覚える。だって、『ネヴァーマインド』は自分にとって「パーフェクトな傑作」とも言える数少ないアルバムだもの。



リアルタイムで聴いたアルバムのなかで、「歴史を変えた」と言えるのは、『ネヴァーマインド』だけだと思う。この1枚がロックを再びリアルなものに変えた。


この連載の第39回でもふれたように、『ネヴァーマインド』がリリースされた1991年はバブル崩壊が始まった年として記録されているけど、当時の普通の人たちはそんなことには気づいちゃいなかったよね。


80年代末期と同様、屈託なくバカ騒ぎをすることが正しいという風潮は、まだ日本中に満ち満ちていたし、誰もが、頭からつま先まで資本主義に浸かりきっていた。


僕も例に漏れず、シリアスな言動を見れば「ネクラ」と揶揄し、軽薄こそが我が美徳であると言わんばかりにアホな顔をさらして毎日を過ごす、胸糞悪い大学生だった。


そんな僕にドロップキックをかましたのが『ネヴァーマインド』だ。


「おまえ、それマジでやってんの?」

「いつまでそんな浮かれ騒ぎ続けるつもりよ?」


カートはそんなふうに詰め寄ってきた。彼が『ネヴァーマインド』で吐き出した不安や怒り、孤独感、いらだちといった感情は、どんなに明るく振る舞っていたとしても、人々の中に巣食っていた。もちろんアホ学生だった僕の中にも。


「自分と誠実に向き合えよ」「誰かを演じるんじゃなくて自分自身を生きろよ」というのが、カートからのメッセージだと感じた。



まぁ、実際のところは、カートが「なに」を歌っているかは関係なかったと思う。オルタナ・ロックのアンセムと化した「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット Smells Like Teen Spirit」のリリックなんて、いま読んでも意味がよくわからんし。「ティーンエイジャーの魂みたいなにおい」。この曲名がティーン用のデオドラントの商品名に由来することも最近知った。

 

心に響いたのは、こまかい歌詞の内容じゃなくて、カートのヴォーカルとサウンドなのだ。静と動、ヘヴィーなギターのリフとポップなメロディ、おぞましいテーマと穏やかな曲調。そんな陰と陽のコントラストによってニルヴァーナは聴くものの感情を揺さぶる。



たとえば、アルバム5曲目の「リチウム Lithium」。ここで歌われていることは、ほとんど意味がない。


すごくハッピーな気分/だって今日、友達ができたから/

彼らは僕の心の中にいる

僕はすごく醜い/でも大丈夫/だって君も醜いから/

鏡を割っちゃえばいいさ


などなど。


大事なのはこの後に延々と繰り返される”Yeah, Yeah”というブリッジ部分だ。そこからほとばしる絶望感、無力感。全然”Yeah”じゃない感じ。


一説にはタイトルとなっている「リチウム」とは、 カートが患っていた双極性障害の治療に用いられるクスリなんだって。気分を安定させる効果があるみたいだけど、曲を聴く限り、そうとは思えない。


要は「ことば」ではなく、そこに込められた感情に耳を澄ます必要があるということだろう。



リリックが難解だとしても、『イン・ユーテロ』に比べ、『ネヴァーマインド』が開かれた印象を与えるのは、前者がカートが自らの内面にとらわれていくのに対して、あくまでも外にいる他者に向けて自らの感情を伝えようとしているからか。


もちろん、プロデューサーを務めたブッチ・ヴィグの手腕によるところも大きい。その重厚かつキレのいいサウンド・プロダクションは、世界を熱狂させ、『ネヴァーマインド』を歴史に残る傑作の座へと押し上げる原動力となった。そして、結果的にカートがこのアルバムを忌み嫌う要因となるとは、誰も思わなかっただろう。


でも、いまから振り返ると、実は、作為を排除しようとするカートの姿勢は、『ネヴァーマインド』制作時から「潔癖」の域に達していたことに気づく。


カートは、「俺が知らん間に、アンディ・ウォラスがコマーシャルでクリーンなミキシングしたせいでアルバムが台無しになった」というコメントを残している。また、このアルバムでのカートのヴォーカルは、ほとんどがオーヴァー・ダビングされたものだけど、当初、カートはそれを拒んだらしい。「ジョン・レノンもやってんだからさぁ」とブッチ・ヴィグが説得し、渋々応じたんだそうだ。


それにしても、名指しで非難されたアンディ・ウォラスや、良かれと思ってクリアなサウンドを構築したブッチ・ヴィグにしてみれば、「勘弁してちょーよ」といったところだろう。だって、レコーディング時はカートだって『ネヴァーマインド』で一旗上げたると鼻息荒かったんだから。「究極のポップ・ソング」をつくると意気込んで書いたのが、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」という事実からも、カートが当初はメインストリームでの成功を切望していたことは間違いない。



であれば、『ネヴァーマインド』がカートを追い詰めたってのはどういうことなのか。


よく目にする言い回しは、「カート・コベインは名声に押し潰された」というのもので、その見方は間違ってはいないけど、「押し潰された」というのはちょっと違う気もする。


『ネヴァーマインド』の成功によって手に入れた「名声」は、「世界一のロック・スター」であり、「グランジ・ロックのアイコン」であり、「90年代の若者の代弁者」であり、「ゴシップ紙をにぎわすセレブリティ」だった。


問題は、カートが「誰かを演じるんじゃなくて自分自身を生きろよ」という自身のメッセージに固執し過ぎたことじゃないか。カートは誰かに押し付けられた偶像として生きるのではなくて、「ただのカート・コベイン」でいたかった。でも、僕を含め、世界がそんなことを許すはずもなく、カートはアイデンティティ・クライシスに陥ってしまう。


「自分は何者なのか? 自分に生きる価値はあるのか?」


「押し潰された」と言うよりも、自分を信じることができなくなったことが根本にあるように思う。



そうであったとしても、『ネヴァーマインド』でのカートが不誠実だったかと言うと、そんなことはないと思うのだ。彼が自分を信じ、自分の感情を偽ることなくギターを鳴らし歌ったからこそ、このアルバムは傑作たり得た。少なくとも、『ネヴァーマインド』でのカート・コベインは、ギラギラと命を燃やしている。逃げ隠れせずに世界と対峙している。その姿がいまも僕らを勇気づける。



カートの影響は、彼の死後ヒップホップにも及び、特に2010年代後半に一世を風靡したエモ・ラップのアーティストたちは彼を崇拝していたと言われている。そして残念ながら、XXXTENTACIONやリル・ピープ、ジュース・ワールドといったシーンを代表するアーティストは、カートの死をなぞるように、若くして命を落としてしまった。


そこだけを見るとすごくネガティヴな影響ばかりな気がするけど、ドクター・ドレやジェイ・Zといった『ネヴァーマインド』リリース当時から活動していたラップの大御所たちは、ニルヴァーナの音楽が発するエネルギーに圧倒されたと語っている。


そのエネルギーは聴くたびに僕らを揺さぶるし、その音の中に、カートが間違いなくいまも生きていることを感じる。




おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★★










長谷川 和芳
長谷川 和芳

長谷川 和芳 KAZUYOSHI HASEGAWA

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1969年、福岡県のディープエリア筑豊生まれの編集者・ライター。414Factory代表。メインの業務は染織作家の家人の話し相手。