Bigmouth WEB MAGAZINE

音楽MUSIC

長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第91回 #10 The Beatles (1968) - THE BEATLES 『ザ・ビートルズ』- ザ・ビートルズ

長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第91回 #10 The Beatles (1968) - THE BEATLES 『ザ・ビートルズ』- ザ・ビートルズ

ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』(2003年発表・2012年改訂版)も、ようやくトップテンに突入。10位はザ・ビートルズ10枚目のオリジナル・アルバムである。その真っ白なアルバム・ジャケットからホワイト・アルバムと一般に呼ばれている。


本当のタイトルは、バンド名まんまの『ザ・ビートルズ』なのだが、問題は、このアルバムが本当に「ザ・ビートルズ」のアルバムだと言っていいのかというとこ。


LP2枚にわたって収録された30曲中、メンバー4人がそろってレコーディングに参加したのは、なんとわずか半分の15曲。「バンドというよりも4人のソロ・アーティストに、ほかの3人がバッキングした感じ」なんて評も目にしたけど、「3人がバッキング」どころか、メンバーが1人きりで録音した曲も7曲ある。


そう考えると、このアルバムでのビートルズは、バンドの体を成していないようにも思える。



収録曲は、ほかのアルバムに収録されている曲に比べるとマイナーだ。一般の人でも知っているようなビートルズ・クラシックは、「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ Ob-La-Di, Ob-La-Da」くらいか(「バースデイ Birthday」も定番のパーティ・ソングだけどビートルズの曲だと思っていない人も多そう)。


「オブ・ラ・ディ~」をつくったポール・マッカートニーはシングルとしてリリースしたかったんだけど、ほかの3人が拒否。特にジョン・レノンは「ばあさん向けのクソみたいな曲」と酷評している。そうそう、このアルバムのレコーディング中の人間関係は、とにかく最悪だったのだ。


そんな雰囲気がイヤになっちゃったリンゴ・スターは、2週間スタジオから逃亡。ビートルズのデビュー以来、プロデューサーを務めてきたジョージ・マーティンは、収録曲を絞ってレコード1枚にまとめるべきだと進言するも、ビートルズは言うことを聞かない。これまたイヤになっちゃって、レコーディングが進行しているにもかかわらず、休暇に入ってしまう。



こんな状況で制作されたアルバムだし、仕上がりにも賛否両論あるわけだけど、個人的には大好きなアルバムで、まさに「ビートルズのアルバム」だと思う。


一般的な知名度は低いかもしれないが、頭からお尻まで佳曲ぞろい。捨て曲なし。ビートルズらしいユーモアというか「オモロ」も散りばめられているし、なによりもトータルなロック・アルバムとしてカッコいい。


確かにスタジオで4人が顔をそろえる機会は、以前に比べると激減したわけだけど、それでも本人たちは「ビートルズのアルバム」を制作しているという自覚はあったわけで、だからこそ音楽的な見解の違いが感情的な衝突へとエスカレートし、剣呑の雰囲気を生むことになる。つまり、最悪な人間関係さえ、4人がまだビートルズというバンドであったことの証しだと考えたい。



ホワイト・アルバムからビートルズの崩壊が始まったと見る向きは多いし、結果的にそうなってしまったように思える。でも、崩壊の種は、ホワイト・アルバムの前作『サージェント・ぺパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』ですでに撒かれていたんじゃないかと思う。


『サージェント・ペパー~』については、追々、レビューすることになるので多くは語らないけど、ビートルズが架空のバンドに扮してそのショーを再現するという、おもしろいんだかなんだかよくわかんないポールの思いつきで制作されたコンセプト・アルバムで、「ロックをアートの領域にまで押し上げた」と激賞された。


『サージェント・ペパー~』のカラフルなジャケットとホワイト・アルバムのこれ以上ないくらいにミニマムなジャケットを見比べれば一目瞭然だけど、ホワイト・アルバムは明らかに『サージェント・ペパー~』の反動として制作されている。


ジャケットだけではなく、サウンドも対照的。『サージェント・ペパー~』は当時の最新レコーディング技術を駆使した分厚いサウンドなのに対して、ホワイト・アルバムでは生っぽい音作りが目立つし、アコースティック・ギター主体の曲も多い。そもそも、前者がコンセプト・アルバムの金字塔と称されている一方、後者は「ソロの寄せ集め」という評価が主流だしね。ホントに正反対。



2018年にホワイト・アルバムのリミックスを手がけた、ジョージ・マーティンの息子であるジャイルズがおもしろい発言を残している。「父ちゃんのジョージは、『サージェント・ペパー~』をアップデイトしたアルバムをつくるべきだって思ってたみたい」。だから「収録曲を絞ってレコード1枚にまとめるべき」ということだったんだろうけど、それをビートルズは拒否する。なぜか。


それは、彼らが「架空のバンド」でも芸術家集団でもなく、正真正銘のロック・バンドだったからだ。


「わけわからん決まり事に縛られるのはもうウンザリ。好きなようにやるのだ! それがロックってもんでしょう!!」ってこと。



実際、4人というか、リンゴを除く3人はかなり好き勝手やってる。


ジョンが書いた「グラス・オニオン Glass Onion」やジョージ・ハリソンの「サボイ・トラッフル Savoy Truffle」はいずれも一風変わったロック・チューンで、サウンドは『サージェント・ペッパー~』に近い。


しかし、一方で、ハード・ロックの金字塔「ヘルター・スケルター Helter Skelter」や、ジョンのパンキッシュなヴォーカルが炸裂する「エブリボディーズ・ゴット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey」の凶暴さは、前作には見られなかったもの。


「誰も見てないからさ、道のど真ん中で一発やろうぜ」とポールが繰り返し歌う「ホワイ・ドント・ウィ・ドゥ・イット・イン・ザ・ロード Why Don't We Do It in the Road?」の振り切れた品のなさは、ジョンに「最高。俺が歌いたかった」と言わしめた。


ジョージ畢生の傑作「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス While My Guitar Gently Weeps」や、ジョージお得意の神様に捧げる曲「ロング・ロング・ロング Long, Long, Long」、インドで世話になった宗教指導者であるマハリシをディスった内容にも関わらず美しいバラードに仕上がった、ジョンの「セクシー・セディー Sexy Sadie」などは、それぞれのソロ作にもつながる独特のメランコリーを感じさせる。


ジョンの「もうイヤになっちゃった」ソング「アイム・ソー・タイアード I'm So Tired」と「ヤー・ブルース Yer Blues」も心に迫るし、同じくジョンが3つ曲をつなぎ合わせた「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン Happiness Is a Warm Gun」を聴けば、彼が最高のロックン・ローラーだったことがわかる。


小品ながら「マーサ・マイ・ディア Martha My Dear」「ブラックバード Blackbird」「アイ・ウィル I Will」「ジュリア Julia」は、メロディの美しさも印象的。


ジョンがオノ・ヨーコにそそのかされてつくった「レボリューション9 Revolution 9」はメンバーにもファンにも不人気だけど、オモロいからいいじゃないか。



そして、上記のように11曲を取り出すと、曲調も使用している楽器も参加しているメンバーさえもバラバラなんだけど、それにもかかわらず、アルバムを通して聴くと曲順と曲間のつなぎが絶妙で、グッと来る瞬間がたびたび訪れる。


アホっぽい「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル The Continuing Story of Bungalow Bill」のバカ騒ぎがカットアウトし、ジョージの掛け声とともに「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のエリック・クラプトンのギターが斬り込んで来る瞬間など、何度聴いてもシビれる。



かように、ホワイト・アルバムの収録曲は「傑作ぞろい」とは言えないまでも、2枚のLPレコードに聴きどころが満載されている。2018年版リミックスのプロデューサー、ジャイルズ・マーティンは、このアルバムを評して「どんなジャンルに分類するか難しい」と宣っているが、答えは簡単。この多様性、雑食性こそが「ロック」でしょう。



『サージェント・ペパー~』のようなアート作品ではないし、このときのビートルズは、バンドとしては壊れかけていたかもしれない。でも、おっちゃんは最高のロック・アルバムとして認定したい。




おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★★






【蛇足】


ホワイト・アルバムでビートルズがロックに回帰しようとしていたことは、上記の本編に記した通り。以下はビートルズおじさん的な「語り」なので、ビートルズに興味がない方は無視してほしい。


ホワイト・アルバム以降、ビートルズが必然的に崩壊に向かう話。



ホワイト・アルバムプロジェクトのスタートは、19685月に録音された「イーシャー・デモ」に刻まれている。これは、イギリス・ロンドンの南西にある街、イーシャーのジョージの別荘に、ビートルズの4人+αが集まって、同年24月のインド滞在時にメンバー(要はリンゴを除く3人)が書き溜めた曲を、披露し合ったもの。


ジャイルズ・マーティンがプロデュースしたホワイト・アルバム”2018年リミックス盤では、このときにレコーディングされた27曲を聴くことができる。まぁ、いわゆるデモなのでゆるい仕上がりだけど、メンバーが楽しんでいることは伝わる。演奏はアコースティック・ギターにハンド・クラップや口笛。きっと4人がビートルズになる前は、こんなふうに誰かの家に集まって、つくった曲を演奏しあったんだろうなと思わせる。



「イーシャー・デモ」は友好的な空気に包まれて終了し、本格的にホワイト・アルバムレコーディングに取り掛かるわけだけど、アッという間にスタジオの空気は険悪なものになる。


バンドにとって「異物」であるオノ・ヨーコがスタジオに乱入したことが、その理由として取り沙汰されるが、やはり大きかったのは、個々のメンバー(リンゴを除く)のアーティストとしてのエゴが肥大化していき、バンドとしての一体性を保持できなかったことだろう。


ポールの「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」をジョンが「ばあさん向けのクソみたいな曲」と貶した話は上記でも紹介したけど、ジョンのこの曲に対する感情がここまでこじれたのは、ポールのレコーディングに対するこだわりの強さが原因だった。一聴するとシンプルなサウンドなんだけど、「オブ・ラ・ディ~」は完成までに47テイクを費やしている。ポールは、バンドがジャマイカで聴いたスカを再現できないことにいらだち、ポール以外のメンバーは、ポールの独裁者ぶりにウンザリしまったという構図が生まれていた。



もちろん、やたらとテイクを重ねるハメになったのは、この曲だけではない。ホワイト・アルバム”2018年リミックス盤には、「アイ・ウィル」のテイク29、「ロング・ロング・ロング」のテイク44が収められている。「アイ・ウィル」の方は最終的にはテイク67までいったらしい。アコギがメインのシンプルな曲なのに!!


つまり、『サージェント・ペパー~』を通過したビートルズは、「ただのロック・バンド」には戻れなくなっていたわけだ。最先端のレコーディング技術を経験していた彼らは、理想のサウンドを具現化するためには手段を選ばない。さまざまなやり方を試し、楽曲をアップグレイドさせていく。


そしてできあがったアルバムに、4人はある程度満足していた。ジョン、ポール、ジョージは、自分のサウンドをとことんまで追求したわけだし、途中でバックれたリンゴも、初めて自分の曲がアルバムに採用されたんだから。


しかし、レコーディングはしんどいことばかりで、「イーシャー・デモ」のときに感じた楽しさは霧消してしまった。ポール曰く「すごくいいアルバムだ。でも、つくってるときはマジでツラかったよ」



「イーシャー・デモ」の一体感を再現するにはどうすればいいのか? バンド初期のようなロックン・ロール・バンドに回帰するには? 


そんな問題に直面した4人がたどり着いたのは、スタジオでテイクを重ねてアルバムをつくるのではなく、一発録りのスタジオ・ライヴ・アルバムを制作するというアイディアだった。まぁ、『サージェント・ペパー~』同様、ポールの思いつきくさいけど。


つまりは「ゲット・バック・セッション」。



その顛末は、昨年公開されたピーター・ジャクソン監督のテレビ・シリーズ『ザ・ビートルズ Get Back』に詳しい。


リハーサル当初は、フラストレーションが溜まる一方だったけど、アップル・スタジオに場所を移してからは、ビリー・プレストンがキーボード担当として参加したこともあって、レコーディングは順調に進む。その成果は、1969130日に「ルーフトップ・コンサート」として実を結んだ。42分間という短い時間だったけど、ビートルズは、まぎれもないロックン・ロール・バンドとしてロンドンの寒空の下で爆音を響かせた。



でも、「イーシャー・デモ」のような親密な空気は長くは続かず、「ゲット・バック・セッション」はお蔵入りしかける。それをフィル・スペクターが編集しようやく完成したアルバム『レット・イット・ビー』は、「一発録りのスタジオ・ライヴ・アルバム」という当初のコンセプトからは程遠い物となった。


結局、ビートルズが有終の美を飾るためには、ジョージ・マーティンの力を借りるほかなかった。彼とポールがともに辣腕を振るったアルバム『アビー・ロード』のB面メドレーは、ビートルズ最後の輝きとして記憶される。




こうやってたどってみると、ホワイト・アルバム以降のビートルズが、バンドとして負け続けたことがわかる。そのすべては、『サージェント・ペパー~』の反動として始まった。


では、『サージェント・ペパー~』とはなんだったのか? それはまた、別のお話。




長谷川 和芳
長谷川 和芳

長谷川 和芳 KAZUYOSHI HASEGAWA

facebook instagram twitter

1969年、福岡県ディープエリア筑豊生まれ。開店休業中の雑誌編集者。九州ウォーカー、某弱小エアラインの機内誌の編集長を経て、なぜか今は京都の旅館の運営が業務の中心。あと染織作家である家人の話し相手など。