音楽MUSIC
山口洋(HEATWAVE) |博多今昔のブルース Vol.35〜渡る橋を求めて
中学の時分、ラジオから流れてきたストーンズの「Hot Stuff」。
あれで人生が変わった。いや、違う、変えてくれた。
高校に通うようになり、もっと音楽が知りたくなって。
天神にあるJuke Recordsに通い始める。バス賃すら持っていなかったから、東区香椎から天神まで歩くことになるんだけれど、それがほんとうの意味での「通学」だった、と今となっては思う。
世界へとつながる扉がJukeにはあった。想像の中で、僕はシカゴにもゲットーにも、ロンドンにもNYにも、行くことができた。輸入盤を開封したら、まずは外国の匂いを嗅いでみた。
とはいえ、ひとつきに一枚くらいしか買うことはできない。それを擦り切れるまで聴いて血肉にするのだから、失敗は許されない。店主の松本康さんはでかくて怖くて、とても話しかける勇気はない。
そんなチキンな少年のために、Jukeではオススメの盤にコメントが書かれていた。たとえばThe Piratesのアルバムにはこうだ。「一家に一枚、パイレーツ」。僕は康さんの言葉を信じて、何度も清水の舞台から飛び降りる。その言葉にハズレはなく、たとえばThe Piratesによって、僕のギターには「ガッツ」が加えられる。
なんと言っても、多感な時期にルーツ・ミュージックを教えてもらったこと。この影響は大きい。これほど恵まれた環境は、日本中探しても、福岡にしかなかったはずだ。
先日、康さんの盟友である鮎川誠さんに、ようやくそのお礼が言えた。彼らの奮闘がなければ、この環境が生まれることはなかったからだ。ようやく40年以上の時を経て、手渡され、受け継がれたことへの感謝を口にすることができて、ほんとうに嬉しかった。
Jukeはストーンズが好きならば、ブルースに自然と導かれるような店だった。そうやって高校生の僕は、マディ・ウォータース、エルモア・ジェイムス、ジミー・リード、ハウンド・ドッグ・テイラー、エトセトラ、エトセトラ。本物のブルースマンたちにたどり着いた。
ようやく康さんと口をきけるようになった頃。君はちょっと変わっているからと、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを勧めてくれた。彼が言う通り、それは今までに体験したことがない類の音楽で、唯一無二。闇の中で、才気溢れるひかりを放っていた。
僕はルーツを体や血の中に入れた上で、自分なりの唯一無二の音楽を目指すことにした。その気持ちは今も変わらない。なにもかも、康さんのおかげだ。
福岡には康さんのJukeをはじめとする素晴らしいレコード店がいくつかあり、康さんはラジオで素晴らしい音楽を紹介し、アマチュアのためのテレビ番組があり、80’sファクトリーは裏通りで燦然と輝きを放っていた。町を歩けば、ローカルヒーローであるバンドマンたちが肩で風を切って歩いていた。
福岡は確かにそんな町だった。
かつての光たちが消えかかっても、康さんはその灯火を消すことはなかった。ずっとずっと、良質な音楽を守り続けた。
僕がプロのミュージシャンになって18年が経過したある日。康さんが連絡をくれて、こう言うのだった。
「僕はHEATWAVEにはなにもしてやれなかった。そのことをほんとうに申し訳なく思っている。だから、僕の企画で、僕の店で歌ってくれないだろうか?」、と。
とんでもない!康さんがいなければ、俺はミュージシャンになれなかったことは間違いないし、どこかでくすぶっていたか、いや、もう生きていなかったかもしれないのに。僕はふたつ返事で引き受けた。
そのライヴは康さんによって「渡る橋を求めて」と題され、チケットには康さんのこんな文章が添えられていた。
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かつて私は、山口洋に連れられてのいろんな土地への音楽の旅を夢想したことがある。もちろん彼が奏で歌うのだが、私はマネージャー兼雑用係。
それは果たせず月日を経たが、私は今灯台守だから自分の持ち場を離れることはできない。
今宴、ジューク・ジョイントを得て、一夜限りだが、その一端が叶う。
土着と漂白の両方の心に通じる山口洋よ、歌ってくれ、君の歌を!
松本「キンキー」康
2008.1.5 JUKE RECORD 30th ANNIVERSARY LIVE
渡る橋を求めて
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あのコンサートは僕にとってはギフト以外のなにものでもなかった。
康さんがあの柔かな眼差しで僕に伝えてくれたことを、生きている限り誰かに伝えていきたい。
康さん。ほんとうにありがとうございました。あなたのスピリットは永遠に僕のこころの中で生きています。
写真 森田慶太
ヴォーカリスト、ギタリスト、ソングライター、プロデューサー、そしてランナーにして、スノーボーダー。
1979年、福岡にてヒートウェイヴを結成。1990年、上京しメジャーデビュー。現メンバーは山口洋(vo.g)、池畑潤二(ds)、細海魚(key)。山口洋がソロツアーの旅で新たな曲をつくってバンドに持ち帰るというスタイルで、ほぼ全曲の作詞と作曲を担当する。1995年の阪神・淡路大震災後、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と「満月の夕」を共作。2011年の東日本大震災直後からは「MY LIFE IS MY MESSAGE」プロジェクトのさまざまな活動により、福島県の相馬をピンポイントで応援し続けている。仲井戸麗市、佐野元春、遠藤ミチロウ、矢井田瞳ら国内のミュージシャン、ドーナル・ラニー、キーラらアイルランドを代表するミュージシャンとの共演も多い。
http://no-regrets.jp