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記憶の沼 episode1

記憶の沼 episode1

(絵と文 安部コウセイ)


安部コウセイです。はじめまして。HINTO、スパルローカルズ、堕落モーションFOLK2という3つの異なる形態で音楽活動をやっております。


このコラムのテーマは、幼少期~青年期(20代)までに経験した印象的なエピソードを記憶の沼から掘り起こし、書き連ねる事で、どのように自分の価値観が形作られていったのかを炙り出そうとしてみる、というものです。

私の幼少期~青年期はかなり暗く、シリアスだったのでめちゃくちゃ重たくなってしまうのでは?と書く前から少し心配ですが、なるべく軽く召し上がって頂けるよう努めますのでどーぞお付き合いくださいまし。

それでは、記憶の沼へレッツゴー。


私の最初≒最古の記憶。それは父へのドン引きである。ここで軽く父の紹介をする。

父の職業は漫画家で、20歳くらいの時に母と上京。阿佐ヶ谷という町に住み『ガロ』という漫画雑誌等に執筆。自ら「俺は最後の無頼派だ!」などとのたまい、創作と飲酒と貧乏を謳歌した末に宗教に開眼。教祖から「子供を作ったほうが良いぽよ」とアドバイスされ、子作りを決意。故郷、福岡県田川市にて長男(私)がこの世にデビュー、父の思いつきで居を福岡から埼玉へ移し、新たな生活を開始。今回のコラムはこの埼玉が舞台となる。ちなみに本題とは関係ないが、私の本名「光正」を名付けたのは父でも母でもなく、父がハマっていた宗教の教祖である。名付け親ならぬ名付け教祖。なかなか良いネーミングセンスしてんじゃん。ありがと教祖。


埼玉県の我が家は、庭付き二階建ての古い一軒家。近くには大きな国道があり、ダンプカーがひっきりなしに走っていた。当時、私はまだ産まれて3年目の人間ビギナーだったが、どこか背中に哀愁が漂う子供だったと両親は言う。まぁ、端的にいうと気が弱い子供だったのだろう。

ある日、私は母と2人でラッタッタに乗って買い物へでかけた(このラッタッタなる乗り物は、バイクと自転車が融合したアイデア商品。アメンボの様に細い車体がなかなかカッコよかった)

国道を走り、行きつけのさびれた商店へ到着。軒先には黒いキュウカンチョウが繰り返し繰り返し何かを唱えてた。私はこのキュウカンチョウが不気味であまり好きではなかったのだが、なんとなく好きなふりをしていたのを覚えている。


買い物を終え家に戻ると、白いタンクトップにトランクス姿の父が庭で何かをしている。なにをしているのだろう?父の顔は見えない。汗でじっとりと濡れた父の背中から放たれるドス黒い緊張感が庭を支配していて、私と母は立ち止まる。何か良くないことが起こっている。近くの国道を走るダンプカーの音が急に大きくなった気がして不安になり母の顔を見上げる。母の表情からは何の感情も読み取れず私は更に不安になる。ゆっくりと庭へ近づく。そして私はなにが起こっているのかを理解する。

父は、家の中にある棚やテレビや冷蔵庫や洗濯機や机や椅子を一心不乱に庭へ出していたのだ。

ええええええええ?お父さん??ええええええええ??                                     

私が“ドン引き”という概念を体得した瞬間である。

後にわかることだが、父の統合失調症が発病したのはこの頃である。発病のきっかけは1本の電話だった、と母は言う。

ある日、父の妹から電話があり父がその電話をとった。父の妹はあわてた様子で「お兄ちゃん、お父さんがもう死ぬって言って山の方へでかけて行方がわからんの!やばいぽよ!」と告げた。

当時、私の祖父は大規模な縫製工場の社長だったのだが、部下の裏切りと自らのずさんな経理感覚により多額の借金をかかえてしまった。にっちもさっちもいかなくなり「おらぁもう山で死ぬぽよ!」と行方をくらませた、というわけだ。

祖父は死ぬ勇気がなく無事に帰ってくるのだが、父はその1本の電話以降あちら側の世界の住人になることを選んだ。圧倒的な存在であった祖父の崩落と共に、父の現実は壊れてしまったのだ。

そして家の中の家具を全て庭に出すという奇行を、3歳の私が見てドン引きするという場面へと繋がってゆく。

ここでふと思う。もしかすると私の引越し嫌いはこのドン引きが原因かもしれないと。記憶の沼に住む3歳の私が、家から家具を運び出すことを頑なに拒否しているのではないか?いやいやいやそんなわけない。考えすぎだ。ただ面倒くさがりなだけだろう。

 しかしこれだけは自信を持って言える。このエピソードを経験したことで、私は多少の事ではドン引きしない人間に育った。人の多様性を認めるキャパシティが強制的に広がったとも言える。これは良い面であろう。お父さん、家の中の家具を意味もなく庭に出してくれてありがとう。身をもって人類の幅を教えてくれてたんだね。子は父の背中を見て育つのだ。

少々、記憶の沼に深く潜りすぎて疲れてきたのでこの辺で御開きとさせて頂きたいのですが、最初に心配したとおりシリアス不回避でした。すんません。途中何度か「ぽよ」を挟んでポップにしよーと抵抗はしたけど無理無理無理。

しかし全てが事実、真実が故、仕方なし。読んでどんよりしちゃった人はごめんぽよ。もし次回があるならば、また記憶の沼でお会い致しましょう。そろそろ重い腰をあげて引っ越そうかな。埼玉に。

安部コウセイ
安部コウセイ

安部コウセイ KOSEI ABE

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1979年福岡県田川市生まれ
1998年福岡にてSPARTA LOCALSを結成、2003年メジャーデビュー。
現在はHINTO、堕落モーションFOLK2、スパルタローカルズで活動中。

HINTO→ http://www.hinto.org
堕落モーションFOLK2→ http://daraku.org
スパルタローカルズ→ http://www.spartalocals.net