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転がる石のように名盤100枚斬り 第30回グレイスランド - ポール・サイモン

転がる石のように名盤100枚斬り 第30回グレイスランド - ポール・サイモン

#71 Graceland (1986) - PAUL SIMON

グレイスランド - ポール・サイモン


1102日に幕を閉じたラグビー・ワールドカップ日本大会、盛り上がりましたなぁ。アイルランドに加え、スコットランドにも勝利を収めるという日本代表の快進撃に、「にわか」が全国に大量発生。かく言う僕もその一人だけど。


さらに、ニュージーランド代表オールブラックスがイングランドにまさかの敗北。そして、そのイングランドを決勝戦で撃破したのが、日本を葬り去った南アフリカだったという劇的な結末。



黒人として初めて南アフリカ代表のキャプテンを務めたシヤ・コリシ選手は、優勝を決めた後のインタビューでこんなことを語っている。


「母国は多くの問題を抱えている。でも、環境や人種は違っても、(優勝という)目標に向かって一つになれた。私たちは団結すれば、何だってできるんだ」

これって、まさに映画『インビクタス/負けざる者たち』(2009年)のメッセージよね。



クリント・イーストウッドが監督・製作を手掛けた映画は、こんな内容だ。


アパルトヘイト(人種隔離政策)は撤廃されたものの、未だに人種間に深い溝が残る、1994年の南アフリカ共和国。大統領に就任したネルソン・マンデラ(演じるはモーガン・フリーマン)は、翌年のラグビー・ワールドカップの自国開催を前に、ラグビーのナショナル・チームを国家統合と民族融和の象徴にしようとする。


劇中でも言及されているけど、当時は、「ラグビー = 白人のスポーツ」で、黒人はもっぱらサッカーをやっていた。そもそも、黒人は、アパルトヘイトによって白人に受けた仕打ちを恨んでいるし、白人の間でも黒人に対する偏見は根強い。しかも、肝心のラグビーの代表チームは、連戦連敗・・・・・・。


そんな状況下でマンデラに励まされたラグビーの代表チームのキャプテン、フランソワ・ピナール(マット・デイモンが好演)は、チームを強化するとともに、白人ばかりのチームメイトを説得し、黒人にもラグビーを浸透させようとプロモーションにも乗り出す。


クライマックスは、1995年に開催されたラグビー・ワールドカップ南アフリカ大会の決勝だ。 



映画によると、この大会で、日本代表はオールブラックスに145-17という歴史的なスコアで、敗北を喫したそうな。そんな時代の話。


まさに、ワールドカップ日本大会の余韻が残る、いまだからこそ、グッと来る映画である。



なんて思っていたところ、『ローリング・ストーンが選んだ史上最も偉大なアルバム』では71位を見たら、ポール・サイモンが南アフリカのミュージシャン達と制作したアルバム『グレイスランド』がランクインしていた。


リリースされたのは1986年。映画『インビクタス/負けざる者たち』から遡ること8年。南アフリカ共和国は、未だアパルトヘイトから解き放たれてはいない。



当時、ロック界では「アンチ・アパルトヘイト」の動きが活発だった。1985年には、スティーヴ・ヴァン・ザントが音頭をとり、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ホール&オーツ、マイルス・デイヴィスなど、そうそうたるメンツが集合しレコーディングしたアンチ・アパルトヘイト・ソング『サン・シティ Sun City』もヒットしている。


「サン・シティ( = 南アフリカにあった白人専用リゾート)じゃ、ぜってぇ演奏しねぇ!」


そんななか、まったく空気を読まずに、南アフリカまで出向いてレコーディングしたポール・サイモン。もちろん、大いに叩かれる。普通に考えるとそうなるのは予想できそうなものだけど。



その頃、高校生だった僕が、最初に耳にしたのは、シングル・カットされた「コール・ミー・アル You Can Call Me Al」だった。後年、小沢健二がヒット曲「僕らが旅に出る理由」で引用したたことでも知られる。


これが、いままで聴いたことのないスタイルのポップ・ソングだったので、驚いた。



ポール・サイモンといえば、サイモン&ガーファンクルのいわゆるフォーク・ソングのイメージしかなかった。でも、「コール・ミー・アル」は、独特のリズムを持ち、ヴァイタルな曲に仕上がっていて、すごく新鮮だった。


「南アフリカで録音」なんて情報は、この曲を最初に聴いた時は頭になかったと思う。「ワールド・ミュージック」という言葉はもうあったのかな? いずれにせよ、筑豊の高校生は、南アフリカの音楽なんて聴いたことなかったし、興味もなかった。だから、いっそうインパクトが強かったんだろう。



で、少ない小遣いをやりくりして、後日、『グレイスランド』のLPを購入。これまた、超ド級にポップな仕上がり。


楽曲はバラエティに富んでいて、当時は「南アフリカの音楽って奥深いんやねー」と思っていたけど、AppleMusicのレビューによると、アメリカのローカル音楽、サディコやテックス・メックスのスタイルも入っているみたい。



でも、アルバムを聴いていて浮かんでくるのは、やはりアフリカの雄大な大地だ。・・・・・・行ったことはないので、あくまでイメージだけど。


一番、「アフリカ」を感じさせるのは、「ホームレス Homeless」という曲。タイトルは、「宿なし」くらいの意味だろうか。大平原で野宿しているイメージ。レディスミス・ブラック・マンバーゾという南アフリカを代表するバンドが参加していて、ズールー語のコーラスが楽しい。


「アンダー・アフリカン・スカイズ Under African Skies」、つまり「アフリカの空の下」という曲では、南アフリカ人シンガーを起用すればいいのに、よりによって白人のリンダ・ロンシュタットに歌わせて、「文化の盗用だ」と非難されたりもしている。ポール・サイモンって人は、本当に政治には無頓着だったんだろう。


個人的には、リンダ・ロンシュタットの声が好きなので、全然OKだが。



ほかにもキャッチーな楽曲がズラリと並んでいる。500万枚のセールスはダテじゃない。捨て曲なし。僕は全曲脳内再生できる。


世界の音楽ファンに、欧米スタイルだけでもなく、ワールドミュージックだけでもない、新しいポップスを提示した点でも、後世への影響が大きいアルバムだ。



そういうわけで、リリース以来、長年愛聴してきた作品なんだけど、ずっと腑に落ちなかったのが、アルバム・タイトル。最初は、グレイスランドという街が南アフリカにあるんだと思っていた。


その実は、アメリカはメンフィスにある「グレイスランド」。そう。言わずと知れた、エルヴィス・プレスリーの故郷のことだった。なんで南アフリカの音楽に触発されて作ったアルバムのタイトルがエルヴィスなんすか?



改めて2曲目に収録されているタイトル・ソングを、詞を眺めながら聴いてみた。ミシシッピを通ってメンフィスにあるグレイスランドへと向かう道中が歌われている。旅の相棒は9歳の少年。最初の結婚で生まれた自分の子供だ。


この旅は、ポール・サイモンの実体験らしい。てことは、この少年は最初の嫁さん、キャリー・フィッシャー(レイア姫)との間の子供?



「僕らは、グレイスランドに行くんだ」というサビが何回も繰り返されるんだけど、最後のコーラスにはこんな一節があった。「グレイスランドへ行くんだ/理由はうまく説明できないけど」。


去っていった恋人(もしくは妻?)の思い出も歌われてはいるので、ある種の傷心旅行だったのかもしれない。でも、なぜ、グレイスランドに向かっているかというと、理由は一つ、エルヴィスを産んだ街だから。


つまり、この旅は、若い頃に音楽への情熱を与えたくれたエルヴィスの魂に触れ、自らを再生するためのだったんじゃないか。そして、南アフリカの音楽にアプローチしたのも、同じ理由だったんじゃないか。



というのも、『グレイスランド』の前作『ハーツ・アンド・ボーンズ Hearts and Bones』(1983年)は失敗作とされ、セールスも低迷。さすがのポール・サイモンも、自信を失いつつあったのだろう。そんな彼の心に再び火をつけたのが、南アフリカの音楽だった。


それは若い頃に聴いたエルヴィスの歌から受けたインパクトに匹敵するものだったんじゃないだろうか。そして、ポール・サイモンは、当時の社会情勢などお構いなしに、衝き動かされるように南アフリカへ渡る。


結局「グレイスランド」とは、南アフリカのことなのか。



「僕らは、南アフリカに行くんだ/理由はうまく説明できないけど」。つまり、南アフリカ行きが衝動的だったことを、ここで告白していたのだった。


実際、うまく説明できなくて、アンチ・アパルトヘイトの人たちから、批判をを浴びることになったんだもんなぁ。



アルバムを聴いているとアフリカの大地が浮かんでくると書いたけど、先に触れた映画『インビクタス/負けざる者たち』には、そんな美しい自然は描かれていない。


スクリーンで観られるのは、ダウンタウンか、白人の住む高級住宅街か、黒人が住むタウンシップと呼ばれる貧しいエリアだ。


そもそも、ポール・サイモンにインスピレーションを与えたのは、「タウンシップ・ジャイヴ」と呼ばれるストリート音楽だっていうから、ポール・サイモンがレコーディングの際に目にしたのは、大自然なんかじゃなく、ろくにインフラも整っていないスラムだったはず。


そんな南アフリカで録音されたにもかかわらず、アルバムで聴けるのは牧歌的なポップス。黒人の置かれた理不尽な状況にはまったく言及しないポール・サイモンの態度が、ある種の人々に不誠実に映ったとしても仕方ない。



でも、ポール・サイモンのなかでは、社会的な義務感よりも、新しい音楽と出会えた感動の方が強かったんだろうし、その気持ちを正直に作品に向けたからこそ、アルバムは大ヒットし、欧米以外の音楽に目を向けるきっかけを世界の人々に与えることになった。



『グレースランド』発表の6年後の1992年、ネルソン・マンデラの招きにより、ポール・サイモンは、南アフリカでライブを行っている。南アフリカで公演を行ったアメリカ人アーティストは、ポール・サイモンが最初だったらしい。



結果オーライ。




おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★★










長谷川 和芳
長谷川 和芳

長谷川 和芳 KAZUYOSHI HASEGAWA

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1969年、福岡県のディープエリア筑豊生まれの編集者・ライター。414Factory代表。メインの業務は染織作家の家人の話し相手。