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ロックン・ローヤーの音楽なんでもコラム Vol.13

ロックン・ローヤーの音楽なんでもコラム Vol.13

尾崎豊の「卒業」を巡る入学の思い出の一事象について


 3月と言えば、卒業式、世の中は、コロナの緊急事態で卒業式もままならぬ状況ですが、音楽コラムで卒業式と言えば、卒業ソングに触れないわけにはいきません。

 1973年生まれの僕には尾崎の「卒業」が真っ先に思い浮かびます。尾崎は65年生まれで、学校で一緒になる年代ではなく、少し上というイメージで、実はリアルタイムではほとんど聴いていないんですけどね。ふと気になって調べると、カート・コバーンは67年生まれなのでほぼ同年代です。

カートが亡くなったのが、94年4月、尾崎が死んだのは2年前92年4月でした。カートは例の27歳クラブへの入会資格を持っていた一方、尾崎はまだ26歳で、入会を拒否されました。

中高生の頃って、尾崎に全く興味を惹かれずに聴いたことがなかったわけではなくて、ラジオやテレビで少し聴いた感じでは、共感しすぎてやばそうだったので、蓋をして近付かなかったという感じでした。

 たまたま蓋を開けたのは大学に入ってすぐのこと。同級生の中にそれなりのファンがいたようでした。入学早々のいわゆる新歓コンパでカラオケ行って、入学式なのに卒業を熱唱するのに乗っかってしまったオレらなのでした。

 不思議なもので、「卒業」くらいだったら、カラオケで盛り上がれる程度には知っていたのです。

 しかし、その尾崎ファンの同級生は実は「卒業」はあまり好きではないなんてことをぬかしているのでした。熱狂的なファン心理というか、一般ウケする曲は好まないというやつです。僕がZARDの「負けないで」がダメなのと似たようなものでしょう。

で、どの曲がいいのかと言うと、「シェリー」だと言ってましたが、当時の僕には分からない曲でした。

それで、その夜、引っ越したばかりの下宿に帰ってテレビを点けてみると、尾崎の訃報。あの日のことは今でも忘れられません。カートのニュースは全く記憶にないんですが。

その後、しばらく、尾崎のCDは品切れ状態が続きました。最近の回収騒動と違って、みんな寄ってたかって買ってしまったんですよね。僕は何とか店頭に戻って来たのを確認して、ようやく聴き始めた。「十代のカリスマ」なんて呼ばれていたけれど、僕がちゃんと聴き始めたのは結局20歳になってからだったと思います。

 なんかリアルタイムで懸念されたようにどっぷりはまり込んでしまうようなことにもならず、ちょうどいい距離感で聴けてよかったと思っていますが、そうなると、余計なことを考えてしまったり。

やっぱり日本のミュージシャンには、27歳クラブへの誘いはないのかな、なんて。尾崎あたりはイメージとしてもピッタリだと思うんですけどね。尾崎自身があのクラブのこと認識していたら、あと1年ほど長生きしてくれたような気がするけれど、なんて考えてたら、いったいあれって、いつから始まったのか?毒殺されたロバート・ジョンソン(1920年代が創始者か、1960年代に飛んでプールで不審死したブライアン・ジョーンズが続いて、オーバードーズでかわいそうだったジャニス・ジョップリン、似たような感じでジミ・ヘンドリックスという感じだったか。

次は90年代のカート・コバーンまで飛びそうなので、尾崎が認識していたとすればこのあたりまでかも。

そういえば、ファンの好きな曲「シェリー」には「俺は転がり続けてこんなとこにたどりついた」なんて一節があります。尾崎としてもローリング・ストーンズ、そして、ブライアン・ジョーンズのことは意識していたのではないでしょうか。だったら、せめてもう1年生き延びて27歳クラブの日本人会員第1号になってほしかったと思うわけで。でも、そうすると、「卒業」が僕の「入学」の思い出にくっきりと刻まれることもなかったのでしょうね。





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法坂 一広
法坂 一広

法坂 一広 IKKOU HOUSAKA

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法坂一広
1973年福岡市出身
2000年弁護士登録(登録名は「保坂晃一」)
2011年「このミステリーがすごい!」大賞受賞2012年作家デビュー
著書に弁護士探偵物語シリーズ・ダーティ・ワーク 弁護士監察室
ブログhttps://ameblo.jp/bengoshi-kh