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転がる石のように名盤100枚斬り 第47回 #54 The Birth of Soul: The Complete Atlantic Recordings (1991) - RAY CHARLES 『バース・オブ・ソウル:コンプリート・アトランティック・レコーディングス』 - レイ・チャールズ
大阪のとある高層ビル。その1フロアを占める、モダンな内装のナイト・クラブは、今夜も大いににぎわっている。
ステージには、生バンドをバックにナツメロを熱唱する小太りのビジネスマン。彼に代わってステージに上がったのは、チャーリー(アンディ・ガルシア)だ。
ピアノの前で何やら指示出すチャーリー。
「ポピピパンパパパポンポン♪」
ピアニストが言われた通りに演奏を始めると、満足した表情でステージを降り、マイクも持たず歌い始める。
“♪Hey mama, don’t you want to treat me wrong / Come on and love me all night long / Oh oh, hey hey / All right now! ♪”
最初は、あっけにとられたようにチャーリーを見つめていた松本(高倉健)が、感極まった様子で、チャーリーに声をかける。「レイ・チャールズ!」
松田優作の遺作としても名高い、リドリー・スコット監督作『ブラック・レイン Black Rain』(1989年)の一場面だ。この後、高倉健によるレイ・チャールズのモノマネという、イタいシーンが続くわけだが、それはさて置き、この場面で歌われるのが「レイ・チャールズ」なのが、どうしても腑に落ちず、モヤモヤしていた。
25歳くらい歳の差があるチャーリーと松本の仲をとりもつ音楽が、レイ・チャールズの「ホワッド・アイ・セイ What'd I Say」? そんなことある?
ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』54位は、そのレイ・チャールズのボックス・セットである。
ローリング・ストーン誌には、音楽ジャンルのオリジネイターについては、ボックス・セットで俯瞰&お勉強すべしという決まりでもあるんかね。そう言えば、ファンクの創始者、ジェームス・ブラウンにしても、75位にランク・インした作品はボックスセットだった。
レイ・チャールズは、ソウル・ミュージックの創始者とされている。ジェームス・ブラウンのボックス・セットがファンク誕生までの道のりを丹念に追っていたように、このボックス・セットも、そのタイトル通り、R&Bがソウル・ミュージックへと進化する過程をたどる。
で、ソウル・ミュージックとはなんぞやという話だが、このボックス・セットについてのローリング・ストーン誌のレヴューに明記されている。曰く「ソウル・ミュージックは、聖と俗、つまりゴスペルとブルースをミックスさせたものだ」
エルヴィス・プレスリーがデビュー盤でカヴァーし、2005年にはカニエ・ウエストが「ゴールド・ディガー Gold Digger」でサンプリングしたレイの代表作「アイヴ・ガット・ア・ウーマン I’ve Got a Woman」も、元は「It Must Be Jesus」というゴスペル・ソングだったそうな。
で、熱心なクリスチャンから、神を冒涜しとる!と叩かれたんだって。
「聖と俗」というのは、レイ・チャールズ自身のパーソナリティにも言えることで、素晴らしい音楽を量産する一方、デビュー当初から1960年代の半ばまで、重度のヤク中で、女ったらしだったことは、自伝映画『Ray /レイ』(2004年)で白日の下にさらされている。
まぁ、本人は「聖と俗」なんて気張ることもなく、ガムシャラに音楽を作り続けていただけなんだろうけど。
初期の「ロール・ウイズ・マイ・ベイビー Roll With My Baby」や「ミッドナイト・アワー The Midnight Hour」なんかはR&Bでさえなく、ぬるいジャズ・ナンバー。「おまえはナット・キング・コールかよ!」とアトランティック・レコードの重役からなじられていた模様。
ブルースを歌ってみたものの(「レイのブルース Ray’s Blues」「チャールズさんのブルース Mr. Charles Blues」なんてのも)、鳴かず飛ばず。
で一念発起し、レイのピアノが跳ねるブギーなナンバー「メス・アラウンド Mess Around」をリリースし、R&Bチャートで1位を獲得するわけだけど、この曲は、ほぼロックン・ロール。
そこから、自分の天才に任せ、黒人としてのアイデンティティを追求していった結果、ゴスペルとブルースの融合という方法論に落ち着いたんだろう。「これからはR&Bじゃない、ソウルの時代だぜ!」なんていう戦略的な匂いはしない。
デビューしてからは年間300本のライヴをこなしていたというから、ステージ上からオーディエンスの反応を確かめながら、自分の音楽を磨いていったのかもしれない。
その音楽性が広がったのは、やはり「アイヴ・ガット・ア・ウーマン」リリース以降で、語りから入る「グリーンバックス Greenbucks」やロックン・ロール色強めの「This Little Girl of Mine」、ピアノとクラリネットをフィーチャーした「ア・ビット・オブ・ソウル A Bit of Soul」 、エディ・コクランなど多くのアーティストがカヴァーした「Hallelujah, I Love You So」など、音楽の引き出しが格段に増えている。
セールス面でも安定し、R&Bシングル・チャートでは1959年までに16曲のトップ10ヒットを送り出している。そして、1959年6月、映画『ブラック・レイン』でも登場した「ホワッド・アイ・セイ」がリリースされる。
この曲は、前年のペンシルヴァニアでのライヴで、即興で披露した演奏が元になっている。その経緯は、映画『Ray /レイ』にも詳しい。
レイとバックコーラス・グループ、レイレッツによるコール・アンド・レスポンスが聴きどころの一つなんだけど、これがあからさまに性的なニュアンスを含んでいて、ラジオ局にはオンエアを拒否されてしまう。
仕方なく、演奏を編集したヴァージョンを新たに発売したところ、R&Bチャートで1位を獲得したのに続き、全米チャートでも6位にランク・イン。レイの音楽が白人が支配するメイン・ストリームで受け入れられたのは、この曲が初めてだった。
伝説としてその名を残すアーティストの多くは、「越境者」という特性を持っている。レイもその一人で、彼はソウル・ミュージックを生み出すことで聖と俗の境を飛び越え、さらに、黒人と白人の間に横たわっていた断絶を、「ホワッド・アイ・セイ」で飛び越えることに成功したのだ。
ここまで思いを巡らせると、映画『ブラック・レイン』で「ホワッド・アイ・セイ」が歌われたことにも合点がいく。
この映画もまさに「越境者」を描いた作品だった。主人公の2人の刑事、ニック(マイケル・ダグラス)とチャーリーは、文字通り越境し、日本へやって来る。そして、チャーリーは、「ホワッド・アイ・セイ」を歌うことで、アメリカ人である自分と日本人である松本の心に橋を架ける。
そう、1959年に「ホワッド・アイ・セイ」が、白人と黒人の架け橋になったように。・・・・・・急に「いい話」になったなぁ。
レイは1959年をもってアトランティック・レコードとの契約を終了し、ABCレコードへ移籍。カントリーのレコードを出すなど、それまで以上にジャンルを横断し音楽活動を続け、「我が心のジョージア Georgia on My Mind」「旅立てジャック Hit The Road Jack」「アンチェイン・マイ・ハート Unchain My Heart」「愛さずにはいられない I Can’t Stop Loving You」など、後世に残るヒットを生み出した。
しかし、このボックス・セットには、上述の名曲の数々は収められていない。それでも、ソウル・ミュージック誕生までの軌跡に興味がある人には、オススメできるけど、純粋にレイのヒット曲を楽しむなら、ABCレコード移籍後のヒット曲もバランスよく収録している、映画『Ray/レイ』のサントラの方がいいんじゃなかろうか。
なんて邪道なことを、つい考えてしまったのです。そんなこんなで・・・・・・
おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★
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