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転がる石のように名盤100枚斬り 第51回 #50 Here’s Little Richard (1957) - LITTLE RICHARD 『ヒアズ・リトル・リチャード』 - リトル・リチャード
“俺の家族はリズム&ブルースが嫌いでね。
家の中で聴いた覚えがある音楽と言えば、ビング・クロスビーの「黄金の雨」か、エラ・フィッツジェラルドの歌くらい。
でも、こんなのよりも、もっとデカい音で鳴り響く音楽がどこかに存在するって、俺にはわかってたんだ。でも、どこに行けばそれが見つかるかがわからなかった。
ようやく見つかったと思ったら、それは俺自身だったというわけ”
(ローリング・ストーン『史上最も偉大なアルバム』レヴューより)
5月9日にリトル・リチャードが亡くなり、数日の間、追悼記事がWEBにあふれた。その多くが掲げていたのは「ロックン・ロールのオリジネイター、先駆者が逝去」という見出しだった。
冒頭に引いたリチャード本人のコメントを読むと、実際に音楽として世の中に出る以前でも、「ロックン・ロール」がリチャード自身の中でくすぶっていたことがわかる。まさに彼は「オリジネイター」だった。
リトル・リチャードの追悼記事で「ロックン・ロールのオリジネイター、先駆者」と並んで多かったのは、おそらく「ビートルズに影響を与えた」というフレーズだろう。
リチャードの逝去が報道されると、未だ健在な2人のビートルズ・メンバー、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターは、そろってTwitterで追悼の意を表した。2人とも同じ写真をメッセージに添えている。1963年に一緒にツアーをした際に撮影された、ビートルズの4人がリチャードを囲む写真だ。
ほとんどの人が、この写真を見たときに抱く第一印象は、「リトル・リチャード、顔デカっ!」だろう。いや、本当にデカい。葉加瀬太郎と並べてみたい。
まぁ、顔の大きさは置いておいて、「ニカッ!」と笑うリチャードの表情がいいよね。
ビートルズにとってリトル・リチャードと並ぶアイドルと言えば、エルヴィス・プレスリーだけど、彼との邂逅は、寒々とした雰囲気で終わったと伝えられている。ジョン・レノンが、プレスリーをなじるような発言をしたのが原因みたい。たぶん、ジョンの照れ隠しだったんだろうけど。
エルヴィスとは異なり、リトル・リチャードとビートルズの間には確かな絆があった。デビュー前の修業時代、ビートルズはドイツ・ハンブルクでオープニング・アクトとして、リチャードと同じステージを踏んでいるのだ。
思えば、この当時のビートルズのドラムは、リンゴではなくピート・ベストだったはず。そういや、1963年の写真のリンゴは浮かない表情だ。ほかのメンバーとは違って、リチャードと初対面だったから、気後れしてたのかな。
ビートルズ・メンバーのなかでも、ポール・マッカートニーの「リトル・リチャード愛」はただならぬものがある。ビートルズが公式にカヴァーしたリチャードのナンバーは、「のっぽのサリー Long Tall Sally」「ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ Hey-Hey-Hey-Hey!」「ルシール Lucille」「ウー!マイ・ソウル Ooh! My Soul」と4曲あるけど、そのすべてでリード・ヴォーカルをとっているはポールだ。
ジョン・レノンと出会った時も、リチャードのナンバーをメドレーで演奏したらしい。
なんと、デビュー前のポールにファルセットを伝授したのはリチャードだというエピソードも伝わっている。「ビートルズに影響を与えた」どころか、リチャードは、ポールの師匠じゃないか。
ウィキペディアの「リトル・リチャード」のページに目を通すと、リチャードから影響を受けたミュージシャンとして、ポールに加えプリンスの名前も挙がっている。
ポール・マッカートニーとプリンス。音楽性は違えど、ポップ・ミュージック史上、五指に入る天才ですよ。そんな二人に崇拝されるリトル・リチャード。そう考えるとすごい。
プリンスの場合は、リチャードの音楽性に加えて、アーティストとしての立ち位置という点でも、大きな影響を受けてるんじゃないだろうか。
• 人種差別が根強く残る1950年代のアメリカで、黒人ミュージシャンとして活動
• 奇抜なヘアスタイルのうえに、メイクをキメてステージに立つ
• 当時は「ブードゥ・ミュージック」なんて呼ばれていたロックン・ロールを発明
• 黒人だけではなく、白人のキッズにもバカウケ
• 親父は聖職者なのに、本人は同性愛者
こんなアーティスト、リトル・リチャード以外にいない。
人種もジェンダーも世間の常識も無効にするそのアティチュードは、まさにプリンスが志向したものだった。
あと、ヘアスタイルね。1980年代前半のプリンスのヘアスタイルは、明らかにリチャード譲りだ。時にバッド・テイストに陥るファッション・センスにもリトル・リチャードの影がチラつく。
ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』50位に選ばれた『ヒアズ・リトル・リチャード 』には、音楽界に大きな足跡を残したリトル・リチャードのエッセンスが詰め込まれている。
オープナーはエルヴィスもカヴァーした「トゥッティ・フルッティ Tutti Frutti」。ドラムを模したという”A wop bop alu bop, a wop bam boom!”という掛け声で幕を開ける。
「のっぽのサリー」「ジェニー・ジェニー Jenny Jenny」というヒット曲に加え、ジョン・レノンがアルバム『ロックン・ロール Rock’n’ Rooll』(1975年)でカヴァーした「レディ・テディ Ready Teady」「スリッピン・アンド・スライディン Slippin’ and Slidin’」「リップ・イット・アップ Rip It Up」も聴きどころ。
ジョンのカヴァーがオリジナルに忠実なのは、リチャードに対するリスペクトゆえなんだろうなぁ。本当はビートルズでも、リチャードのカヴァーでリード・ヴォーカルとりたかったんだろうなぁ。
全12曲27分のアルバムを聴き終わったときに立ち上ってくるのは、リトル・リチャードのあくまでも自由な生き方だ。
「これまでに録音されたなかでも、もっとも優れたリリック」とまでローリング・ストーン誌が絶賛した、「トゥッティ・フルッティ」の”A wop bop alu bop, a wop bam boom!”というフレーズも、まさにリチャードの「自由な精神」の発露だと言える。
そんな彼の「自由っぷり」を象徴するエピソードがある。
『ヒアズ・リトル・リチャード 』リリース後、リチャードは、周囲の反対を押し切り、引退を表明。牧師に転身することに。「ロックン・ロールは悪魔の音楽や!」なんてことを言い始め、ゴスペル・シンガーとして活動を始める。
1962年、ゴスペル界でカリスマ的な人気を誇っていたサム・クックとともに、イギリス・ツアーに臨んだ牧師リチャード。ステージは2部制で第1部はリチャードのみがステージに立った。ゴスペルを歌い上げるリチャード。しかし、観客の反応は薄かった。ゴスペルだし、そんなもんやろ。
第2部は、サム・クックからスタート。そしてリチャードが目にしたのは、第1部の自分のステージに対するおとなしい反応とは打って変わって、サム・クックのパフォーマンスに熱狂的な歓声を上げるオーディエンスの姿だった。
ホゾをかむリチャード。メラメラと対抗心を燃え上がらせ、ステージに立った彼が演奏を始めたのは「のっぽのサリー」。自らに課した禁を破り、次々にロックン・ロール・チューンを繰り出すリチャードに狂乱のるつぼと化す観客席。
これを機会にロックン・ロールの最前線に帰還。ビートルズとツアーを行なったのは、この翌年のことだった。
いやぁ、自由だ。とことん自由だ。人種やジェンダーだけではなく、自分の過去の発言からも自由だ。
それもそのはず。だって、
ロックン・ロール = 自由
だもの。
これこそが、多くのアーティストとキッズを虜にした、リトル・リチャードの音楽の正体なんだな。
おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★
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