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山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.10〜平和台の夢

山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.10〜平和台の夢

平和台の夢の跡


 平和台。今でもその名前を聞くと胸がキューンとする。


 親父は酔っ払うといつも、僕が生まれる5年前の西鉄VS巨人の日本シリーズの話をした。西鉄3連敗のあと、鉄腕稲尾の4連投で優勝を飾ったときのこと。


 でも僕の時代のライオンズはほんとうに弱かった。少年たちも西鉄の帽子なんてかぶってなかったし。


 たぶん、どの試合も1000人も入っていなかったと思う。でも、チェックゲートを抜けて、階段を駆け上って、カクテル光線に照らされた平和台球場を見渡す瞬間。なんとも言えない興奮がこみ上げてくる。太平洋クラブ・ライオンズになっても、クラウンライター・ライオンズになっても。僕は熱心に平和台に通った。


 あの瞬間が好きだったから。


 福本の盗塁も、長池のホームランも、基の堅実な守備も、ビフォードの鋭い打球、竹之内の変わったバッティングフォームも、ぜんぶあの球場で見た。ロッテの金田監督と博多人民との戦いはもはや抗争みたいにプロレスチックで、訳も分からずコーフンした。


 オープン戦で年に一度だけやってくる巨人との試合を親父に頼み込んで連れていってもらった。さすがV9戦士、オーラが違う。初めて生で見るON。なのに、王選手の臀部にデッドボールを投げつけ、そのスイングを見ることもなくベンチに引っ込ませてのは忘れもしない若き東尾。いつか会うことがあったら、どれだけ田舎の少年を失望させたか、どうしても伝えたい。


 なんにせよ、客が少ないので汚い博多弁のヤジもよく通る。バックスクリーンの裏で売られてるうどん。味気ないのに妙に美味かった。確か丸天うどんが100円しなかったけな。


 そして、埼玉に身売り。福岡に球団はなくなった。


 主を亡くした平和台球場。ほんとに寂しそうだった。(続く)

山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.9〜イージー・ライダー2020

山口洋
山口洋

山口洋 HIROSHI YAMAGUCHI

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ヴォーカリスト、ギタリスト、ソングライター、プロデューサー、そしてランナーにして、スノーボーダー。

1979年、福岡にてヒートウェイヴを結成。1990年、上京しメジャーデビュー。現メンバーは山口洋(vo.g)、池畑潤二(ds)、細海魚(key)。山口洋がソロツアーの旅で新たな曲をつくってバンドに持ち帰るというスタイルで、ほぼ全曲の作詞と作曲を担当する。1995年の阪神・淡路大震災後、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と「満月の夕」を共作。2011年の東日本大震災直後からは「MY LIFE IS MY MESSAGE」プロジェクトのさまざまな活動により、福島県の相馬をピンポイントで応援し続けている。仲井戸麗市、佐野元春、遠藤ミチロウ、矢井田瞳ら国内のミュージシャン、ドーナル・ラニー、キーラらアイルランドを代表するミュージシャンとの共演も多い。
http://no-regrets.jp