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長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第76回 #25 Live at the Apollo (1963) - JAMES BROWN 『ライヴ・アット・ジ・アポロ』- ジェームス・ブラウン


ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』2003発表・2012改訂版25位は、JBことジェームス・ブラウンのライヴ・アルバム。2015年にローリング・ストーン誌が発表した『史上最も偉大なライヴ・アルバム』では、なんと1位に輝いている。


絶賛しているのはローリング・ストーン誌だけじゃない。デイヴィッド・ボウイやミック・ジャガーも、このアルバムからの影響を公言している。


ボウイはこのアルバムに収録されている「トライ・ミー Try Me」「ロスト・サムワン Lost Someone」のパフォーマンスに触発されて、「ロックン・ロールの自殺者 Rock’N’Roll Suicide」を書いたと言われる。


これってすごくない?


ミックはステージに上る前、テンションを上げるために、このアルバムを聴いていたそうな(ちなみにエリック・クラプトンはJBではなくBB・キングのライヴ盤を流すらしい)。



『ライヴ・アット・ジ・アポロ』が「名盤」であることは意識していたんだけど、いままでご縁がなく、今回初めて聴いた。



あのJBのライヴの名盤って言うんだから、バリバリのファンク・アルバムだと思うじゃない? 少なくとも僕はずっと思ってました。しかし、このアルバムが収録されたのは、1962年の10月。ファンクはまだ発明されていない。


じゃあ、1962年はどんな時代だったのかと言うと、R&Bにジャズやゴスペルの要素が取り入れられ、ソウル・ミュージックとして市民権を得るようになったころ。すでにレイ・チャールズやサム・クックはR&Bチャートに留まらず、ポップ・チャート上位にもソウル・ミュージックのヒットを送り込んでいた。


我らがJBは、1958年の「トライ・ミー Try Me」でR&Bチャート1位を獲得して以降は、コンスタントにヒットを飛ばしていたわけだけど、ポップ・チャートで成功を収めるまでには至っていない。



「この差はなんやねん」とJBは思ったんだな。ポップ・チャートを意識して中途半端にソフトな曲をシングルで出すより、黒人音楽の殿堂、<アポロ・シアター>で培った圧巻のライヴ・パフォーマンスをパッケージした方がウケるんじゃないか? 



いや、普通はそうは思わない。だって、ソフィスティケイトされたスタジオ・レコーディングの音源に比べると、ライヴの音源は明らかに「黒い」はずだから。ポップ・チャートのリスナーである白人層に拒否反応を起こされる恐れが大なわけで、「スター(黒人限定)」から脱皮できるとは、普通は考えないんじゃないか。



上述した通り、当時すでに名実ともにソウル・ミュージックのスーパー・スターだったサム・クックは、JBが『ライヴ・アット・ジ・アポロ』をリリースした1963年に、ライヴ・アルバムを吹き込んだのだけど、レコード会社の判断によりお蔵入りとなってしまう。理由は、クックのヴォーカルがあまりに「黒かった」からだ。


彼はスイートで耳あたりのいいヴォーカル・スタイルで白人層にもファンが多かったけど、このライヴでのヴォーカルはラフでワイルド。いま聴くとすごくカッコいいんだけど、日の目を見るのはなんと1985年。録音されてから22年後にようやく『ハーレム・スクエア・ライヴ・1963 Live at the Harlem Square Club, 1963』としてリリースされたのだった。



そんな時代だから、JBが所属するレコード会社社長が、黒さ全開のライブ盤に反対するのも理解できる。しかし、それを押し切って発売した『ライヴ・アット・ジ・アポロ』は、全米アルバムチャートで最高2位を記録し、66週間チャート・インするという大ヒットになるのだった。JBの嗅覚のスゴさ。理解不能。



ローリング・ストーン誌が評価するように、このアルバムが『史上最も偉大なライヴ・アルバム』かと問われると、正直言ってよくわからない。JBとバック・バンドであるフェイマス・フレイムスの演奏はパワフルで、JBの最初の黄金期の訪れを実感させる。にしても、楽曲は未だソウルとR&Bがベースなので、後年のファンク期のアルバムに見られる革新性はない。


加えて言うと、別にJBがライヴ・アルバムというフォーマットを開拓したわけではないし、そもそもジャズやブルースの世界では、『ライヴ・アット・ジ・アポロ』以前にもライヴの名盤はたくさん存在するはず。


それでも、『ライヴ・アット・ジ・アポロ』が高く評価されているのは、ステージ上の演奏だけではなく、観客席の熱狂ぶりも、余すことなく伝えている点だ。


それまでのライヴ・アルバムでは、観客の拍手は収録されていても、彼らが発した歓声や嬌声、コール&レスポンスなどは、録音段階でオミットされるのが普通だった。


しかし、『ライヴ・アット・ジ・アポロ』は、レコード会社に頼れずJBが自腹を切って録音したため、観客の反応を拾いまくってしまう。この結果、図らずも、本当の意味で「ライヴ」な空気感をパッケージしてしまった。レコードを聴いているのに、まるでライヴ会場にいるかのようなリスニング体験を初めて実現したことが、このアルバムを後世に語り継ぐ名盤の地位に押し上げたわけだ。


この「熱」をはらんだリスニング体験は、白人リスナーをも巻き込んでいく。その結果、ポピュラー・ミュージックにおいてはジャンルにかかわらず、「オーディエンスもライヴの一部である」「オーディエンスが参加して初めてショーが成立する」ということが当たり前となる。



そして、それだけでは収まらないのが、このアルバムの『史上最も偉大なライヴ・アルバム』たる所以だったりする。



アルバムのハイライトは7曲目のヒット曲メドレーだろうと、聴く前に予想していた。黒人アーティストのショーでメドレーが盛り上がるのは、よくある展開だ。どこかで熱狂的な9曲のメドレーでクライマックスなんてレヴューも見ていたし。



しかし、実際の「クラマックス」は、6曲目の1043秒にも及ぶバラード、「ロスト・サムワン」なのだった。



「ロスト・サムワン 」は、恋人を失った女心を歌ったバラードだけど、途中からなんだか雲行きが怪しくなってくる。フェイマス・フレイムスの演奏は、催眠効果を及ぼすように延々とループし、その効果もあって、JBのシャウトが炸裂するたびに徐々に客席の温度が高まっていき、叫び声が行き交う。そして、途中のコール&レスポンスで何かが弾ける。


JB「おまえのアーウが聴きたいぜ」→観客「アーウ!」

JB「アーウ!」→観客「アーウ!」


女心を歌ってたんじゃなかったのか。


この「アーウ!」は曲の終盤にも再現され、その熱気を持ち越したまま、ヒット曲メドレーになだれこむ。だから、「メドレーがクライマックス」も間違いではない。でも、結局はスウィートなバラードが中心のヒットパレードなので、熱気は徐々に冷めていく。



アルバム全体を見ても、「ロスト・サムワン 」のパフォーマンスは異彩を放っている。ショーを記録した音源のはずなのに、この曲だけは黒人教会の礼拝のような空気が流れる。JBは信者にトランス状態をもたらす説教師のような存在だ。信者たちはJBのひと言ひと言に耳を澄ませ、そのシャウトと一体化する。


このステージと観客との一体感が、デイヴィッド・ボウイ「ロックン・ロールの自殺者」にインスピレーションを与えたのだろう。聴いて納得。



アルバム全体を振り返ってみるとソフトなバラードも多く聴きやすい。しかし、黒人にとどまらず白人リスナーの支持をも得て、『ライヴ・アット・ジ・アポロ』を名盤たらしめているのは、「ロスト・サムワン 」で炸裂する、後のファンク期とは違ったJBの「黒い魂」に尽きる。



2020年発表『史上最も偉大なアルバム』最新版では、40ランク・ダウンの65位に沈んだように、いまのご時世に「必聴」というほどではないけど、JBのスゴさを知るうえでは、欠かせないアルバムだろう。



おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★






長谷川 和芳 KAZUYOSHI HASEGAWA

1969年、福岡県のディープエリア筑豊生まれの編集者・ライター。414Factory代表。メインの業務は染織作家の家人の話し相手。