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長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第77回 #24 Innervisions (1973) - STEVIE WONDER 『インナーヴィジョンズ』- スティーヴィ・ワンダー

山下達郎がオールタイム・ベストに挙げている1937年公開の映画『人情紙風船』(山中貞雄監督)にこんなシーンがある。

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貧乏長屋の住民たちが、にぎやかに宴を催している。宴と言っても、実は、首をくくった浪人侍の通夜なのだが。

按摩稼業の市(いち)も大家からせしめた酒に舌鼓を打っている。市が盲目なのをいいことに、隣に座っていた大工が市の皿から料理をこっそりとつまむ。

すると、市は大工をとがめるだけではなく、「こうしてやる」と大工の皿の料理を箸でつまんで口の中に放り込んでしまう。

それを見た住民たちは、「市の目が見えないって本当か?」といぶかしむ。

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この場面を見たときに、僕の頭にスティーヴィー・ワンダーの顔がよぎったのは、かつて、とんねるずの石橋貴明が、「スティーヴィーの目は実は見えている」という説を提唱していたからか。

確か、石橋は、「スティーヴィーはいつもその場で一番の美人の隣に陣取る」ことをその証拠として挙げていたように記憶している。

実は、この「実はスティーヴィー・ワンダーの目は見えている」説は都市伝説と化していて、ネットには、この説の根拠となるようなエピソードがいくつもアップされている。



ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』2003発表・2012改訂版24位は、そのスティーヴィーの最高傑作の一つ『インナーヴィジョンズ』だ。


このアルバムの録音時にも、「スティーヴィー・ワンダーの目は見えている」説を裏付けるエピソードが記録されている。スタジオの食堂にあったエア・ホッケーで遊んでいる姿を再三目撃されているのだ(「エア・ホッケー」を知らない人はググってください)。


一方で、スティーヴィーの取り巻きたちは、ハードなレコーディング・スケージュールに疲弊するスタジオの従業員をなだめるため、「万事問題なしというふりをしてくれ」とプリントされたTシャツを着ていたらしい。この行動は、スティーヴィーの目が見えないことを前提としている。


スティーヴィー自身がこの都市伝説を楽しんでいる節もあるので、さらに事態がややこしくなるんだけど、バイオグラフィーにある通り、生まれてすぐに未熟児網膜症で視力を失ったというのは本当だろう。ただし、全盲ではない可能性はあるけど。



さて、今回のお題である『インナーヴィジョンズ』は、『史上最も偉大なアルバム』2003発表・2012改訂版90位の『トーキング・ブック Talking Book』(1972年)に続いて、翌年リリースされた。

一般的には、『トーキング・ブック』『インナーヴィジョンズ』『ファースト・フィナーレ Fulfillingness' First Finale』(1974年)の3部作に加え、『キー・オブ・ライフ Songs in the Key of Life』(1976年・『史上最も偉大なアルバム』2003発表・2012改訂版57位)と、4枚の傑作アルバムを制作した5年間が、スティーヴィーの全盛期だったと考えられている。


お恥ずかしい話だけど、『トーキング・ブック』『インナーヴィジョンズ』『ファースト・フィナーレ 』が、なぜ「3部作」とまとめられるのか、これまで深く考えてこなかった。スティーヴィーがモータウンからプロデュース権を奪取してから、エポック・メイキングな『キー・オブ・ライフ』までの期間にリリースされた3枚のアルバムを適当にまとめたんかな、程度の認識だった。


3部作」と呼ばれる本当の理由に気付いたのは、『インナーヴィジョンズ』のWikipediaのページに目を通したとき。


スティーヴィーは天才だから、アルバムのプロデュースは自分でやってるんだろうと、勝手に思っていたんだけど、『インナーヴィジョンズ』では、アソシエイト・プロデューサーとして、マルコム・セシル、ロバート・マーゴレフいう2人の人物がクレジットされているのだ。


3部作」のほかの2枚も同様である。つまり、この2人がプロデュースに関わった作品を「3部作」と呼んでいるわけだ。


五十路を過ぎて初めて知った。。。。 



と、一旦は納得したんだけど、『トーキング・ブック』の前作『心の詩 Music of My Mind』(1972年)でも、2人はアソシエイト・プロデューサーとしてクレジットされていた。でも、「3部作」には含まれていない。このアルバムは、すごくファンキーでカッコいいけど、言ってみればオーソドックスなソウル風味だからかな。



マルコム・セシル、ロバート・マーゴレフとは何者なのかは、ググったらすぐに出てくる。当時の最先端にして、世界最大のシンセサイザー、TONTOThe Original New Timbal Orchestar)を開発したのがこの2人。スティーヴィーはTONTOのもたらす革新的なサウンドにショックを受け、2人に接近したのだった。


「アタマの中で渦巻いているサウンドを再現するにはTONTOが必要だ」


『心の詩』までオーソドックスなソウルを演っていたスティーヴィーが、『トーキング・ブック』以降、ミュージック・シーンに大きなインパクトを与えうる作品をつくることができたのは、間違いなくTONTOとの出会いが大きかったし、本人もそれを重々承知していたので、セシルとマーゴレフにアソシエイト・プロデューサーという大層なクレジットを与えたんだろう。



そんな「3部作」のなかでも『インナーヴィジョンズ』は、スティーヴィーの「天才」とTONTOのテクノロジーが、もっとも理想的な形で融合しているように思える。


白眉は、上下するベースラインがドラッグによるトリップを連想させる「トゥ・ハイ Too High」、社会の不条理なシステムを”City”という言葉で表現した「汚れた街 Living for the City」、ブルージーなファンク・ナンバーでレッド・ホット・チリ・ペッパーズのカヴァーでもおなじみの「ハイアー・グラウンド Higher Ground 」の3曲だろう。


スティーヴィーらしい美メロがさえわたる「恋 All in Love Is Fair」「いつわり He's Misstra Know-It-All」も捨てがたいし、ラテン・フレーヴァーたっぷりの「くよくよするなよ Don't You Worry 'bout a Thing」も楽しい。「くよくよするなよ」は、インコグニートのカヴァーよりも原曲の方がフレッシュに聴こえる。



自分が思い描く音楽を自分一人で再現できるTONTOというシンセサイザーが、スティーヴィーの創作意欲に火を付けたことは間違いない。しかし、正直なところ、スティーヴィーの「天才」を解き放ったTONTOのサウンドが、2021年にどんなふうに響くかというと、結構「普通」だったりする。


確かに『インナーヴィジョンズ』で聴けるのは、それ以前にはなかったシンセならではの音なんだけど、エキセントリックというわけでもなく、良い意味で楽曲になじんでいて、いま聴くと「シンセ」の音色であることを、ことさらに意識することもない。


ローリング・ストーン誌のTONTOの記事に「不安定なぶん、オーガニックに響くのがアナログ・シンセの良さだ」というくだりがあったけど、そのおかげで、TONTOの音の質感は、いまも色褪せてはいないとも言える。



どんな斬新な音色を生み出したのかということは、いまや大した問題ではなく、重要なのは、TONTOがスティーヴィーの内面にどのような影響を与えたのかじゃないだろうか。


TONTOによってスティーヴィーが手に入れたのは、単に電子音をつくるツールではなく、感覚が拡張されるような体験であり、視覚を(ほぼ)失っている彼にとって、それは僕らが想像する以上に強烈なものだったんだと思う。


その体験から生み出された万能感がピークに達したのが『インナーヴィジョンズ』ということだろう。曲の完成度といい、アレンジの的確さといい、より社会性をまとったリリックの深さといい、前作『トーキング・ブック』に比べても、スティーヴィーがアップデイトされていることがわかる。その源泉となったのがTONTOとの融合による新たな感覚だった。



次作『ファースト・フィナーレ 』の制作中、スティーヴィーとセシル、マーゴレフの間には印税に絡んだ訴訟が勃発し、このアルバムを最後にスティーヴィーとTONTOとの蜜月も終わりを告げる。アーティストとしての円熟を象徴する大作『キー・オブ・ライフ』をリリースしたこところには、TANTOがもたらした新たな感覚も薄れていただろう。そして、このアルバムがスティーヴィーにとって最後の「傑作」となる。


その後も良質な音楽をつくり続けてはいるけど、イノヴェイティヴなポジションで音楽シーンをリードすることは、二度となかった。



しかし、『インナーヴィジョンズ』は野心的で先鋭的で、当時のスティーヴィーが感じていた自信や万能感があふれている。このころのスティーヴィーだったら、もしかしたら目が見えていたかもな。



おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★★




長谷川 和芳 KAZUYOSHI HASEGAWA

1969年、福岡県のディープエリア筑豊生まれの編集者・ライター。414Factory代表。メインの業務は染織作家の家人の話し相手。