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長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第85回 #16 Blood on the Tracks (1975) - BOB DYLAN 『血の轍』- ボブ・ディラン

「ビートルズ大学」なるものが石川県金沢市にあることは、以前この連載でも触れたけど、ボブ・ディランの作品を研究する「ディラン学」(Dylanology)なんてものが、この世にはあるそうな。


さすが、ノーベル文学賞受賞者。


確かにディランの書くリリックはネイティヴな英語話者にとっても難解だって言うから、学問として立派に成立するんだろう。



ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』(2003年発表・2012年改訂版)16位にランクインした『血の轍』は、ディラン、70年代の最高傑作と言われている。個人的には「ディランにしては軽やかだし、美メロも散りばめられているし、聴きやすくていいね」てな感じでCDを愛聴してきた。


しかし、ディラン本人はこのアルバムを評して曰く「このアルバムで描かれているような痛みを楽しめる人たちとは、関係を結ぶのことは、僕には難しい」


ほげ?


「『血の轍』は、軽快なサウンドとクリアなヴォーカルが愛されている一方で、リリックが描き出す世界は内省的で沈鬱」(Wikipedia『血の轍』)。「厳しい苦悩が一つのアルバムに詰まっている」(ローリング・ストーン誌)。


あらら。「軽やか」とか言っちゃってるおっちゃんは、このアルバムのことをなにもわかってなかったってことか。もしディラン学を履修したら、間違いなく赤点だったな。



このアルバムのリリックが辛気くさいものになったのは、1965年から連れ添った妻・サラとの関係が危機を迎えていたことが原因だと言われている。ディラン本人は否定しているけど、実際に歌詞に目を通してみると、恋愛に対して驚くほど悲観的かつ自虐的で、相手がサラかどうかは置いておいても、なんらかの女性問題を抱えていたことは間違いないだろう。


加えて、ローリング・ストーン誌の記事によると、ザ・バンドとのツアーを経て、ディランは一種のスランプに陥ってしまったようだ。それでどうしたかというと、週58:30から16:00まで絵画教室に通う生活を2か月間続ける。そこで彼が得たのは「詩」に対する新たな視座だったんですって。


「決して物事を直線的に捕らえるということをしてこなかったディランが、キュビズムの唱えた多重視点の観点からの時間というものと、そして昨日と今日と明日とを同じ一つの部屋にあらしめるような語りを構築する方法とを理解し始めたのだ。」(ローリング・ストーン誌「ボブ・ディラン70年代の傑作『血の轍』完成までの物語」より)


意味、わかる? 


僕は何回読んでもわからんかった。この手法で書かれたのが、アルバムの冒頭を飾る「ブルーにこんがらがって Tangled Up in Blue」なんだけど、この曲のリリックを読んでも、どこが「キュビズムの唱えた多重視点」なのかさっぱりわからない。


恋人関係の終焉の場面がめくるめくように続き、ディランのストーリー・テラーとしてのきらめきを感じる一曲ではある。確かに場所や語り手が次々に変わっていくけど、これが「キュビズム」なんだろうか・・・・・・。



そのほかの曲に目を転じると、「リリーとローズマリーとハートのジャック Lilly, Rosemary and the Jack of Heart」は、実際にあった殺人事件がモチーフらしいけど、どことなくユーモラスな感じ。無理くり「ハートのジャック」を絡めようとしてるのが滑稽みを生んでいる。「愚かな風 Idiot Wind」は世間やマスコミに対する苛立ちを吐露した辛辣な内容。ロックなディランだ。



この2曲以外は、すべて女性への執着についての歌。


「運命のひとひねり Simple Twist of Fate」は運命のいたずらですれ違い、恋人と別れざるを得なかった男が感じる喪失感がテーマ。「嵐からの隠れ場所 Shelter from the Storm」では、女性を厳しい現実にさらされる自分を守ってくれる存在として描き、それにすがる。「雨のバケツ Buckets of Rain」で表現されるのは、恋人に心酔している男の愚かさだ。


「きみは大きな存在 You're a Big Girl Now」「おれはさびしくなるよYou're Gonna Make Me Lonesome When You Go」「朝に会おう Meet Me in the Morning」「彼女にあったら、よろしくと If You See Her, Say Hallo」の4曲のテーマは「別れた恋人への未練」。身もフタもない。


日本語に訳されたリリックを眺めていると鬱々としてくる。だって、ダメな男の嘆き節がそこかしこで炸裂しているんだもの。



しかしだ、そんな内容だと十分に理解して聴いても、正直なところ「内省的で沈鬱」とは思えないのよ。さほどにリリックの内容とサウンドが乖離している。


「ブルーにこんがらがって」で歌われているのは別れの場面だけど、サウンドは躍動感があるフォーク・ロックで、聴いていくうちにこっちも高揚してくるし、「きみは大きな存在」の詞は自己憐憫に満ちていたとしても、印象に残るのはあたかみを感じる音色の美しさだったりする。「彼女にあったら、よろしくと」は、「未練」と言っちゃそれまでだけど、かつての恋人を慮る優しさが胸を打つじゃないの!



結局、ここで聴ける「嘆き節」は、ブルースのお決まりのリリックみたいなもので、深刻に受け止める必要はないんじゃないだろうか?


『血の轍』でディランが紡いだリリックは新基軸が見られる(らしい)ので、「ディラン学」的には高い評価を得ているのかもしれんけど、このアルバムを名盤たらしめているのは、曲のすばらしさとディランの表現豊かなヴォーカルだと思う。


「内省的で沈鬱」? そんなレヴューやディラン学者のことは忘れてしまおう。誰がなんと言おうと、『血の轍』はエモーショナルな歌心と生命力にあふれた傑作なんだから。




おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★








長谷川 和芳 KAZUYOSHI HASEGAWA

1969年、福岡県のディープエリア筑豊生まれの編集者・ライター。414Factory代表。メインの業務は染織作家の家人の話し相手。