転がる石のように名盤100枚斬り 第46回 #55 Electric Ladyland (1968) - THE JIMI HENDRIX EXPERIENCE 『エレクトリック・レディランド』 - ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス
いまや「ジャケ買い」という言葉は、間違いなく死語だろう。
音源購入予算に限りがあるなかで「ジャケ買い」を敢行するほどの度胸は、僕にはなかった。それでもジャケットは、そのアルバムの世界観を探るうえで、貴重な手がかりだった。
雑誌のレヴュー欄に並んでいるジャケット写真を眺めながら、まだ聴けぬ「音」を妄想していたおっちゃん・おばちゃんは少なくないはずだ。
実際、雑誌のレヴュー記事なんかより、ジャケットのヴィジュアルやデザインから感じる手触りの方が、よほど参考になることも多かった(ハズれることも多かったけどね)。
それが、どうよ。30㎝四方のLPレコードが廃れ、CDがフィジカルの主流になったとき、120㎜四方のジャケットに物足りなさを感じたものだけど、いまやサブスクリプションの時代ですよ。
僕のiPhone 8のミュージックAppに表示されるジャケットのサイズは21㎜四方、13インチMac Book Airでも53㎜四方(実際に測ってみた)。このサイズでもアルバムの世界観を汲み取るのは不可能ではないけど、そもそも、そんな気が起こらない。
ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』55位にランクインした、ジミヘンの『エレクトリック・レディランド』のジャケットは、複数のヌードの女性がこちらを見ている写真が使われていた。少なくとも僕が十代のころは。
ディスク・ガイドに載っているジャケットを見ながら、このレコードから、どんな音があふれるのだろうかと想像を膨らませていた。ジミヘンのアルバムだから、ギターがメインのブルース・ロックだろうなぁ、でも、ジャケットの印象からすると、ジャズっぽい雰囲気も感じるなぁ、裸のお姉さんたちの膝に載っているジミヘンのポートレイトは遺影みたいだなぁ、などなど。
決して、おっぱいに心をときめかしていただけではない。
そして、僕が実際に『エレクトリック・レディランド』を購入したのは、1997年のこと。すっかり大人になっていた。なにがきっかけだったかは忘れた。
手にとったジャケットには、「おっぱい」はなかった。代わりに使われていたのは、赤いライトが当たったジミヘンの横顔の写真だった。
あとで知ったんだけど、ヌード女性ジャケは、イギリス盤のもので、ジミヘンがチェックする機会もなく勝手にデザインされたものらしい。ひどい話だなぁ。僕が買った横顔ジャケは、アメリカ盤のもので、こっちがスタンダードになる。
さらに言うと、ジミヘンが使いたかった写真はほかにあったらしい。ジミヘンとバンド・メンバーが森みたいなとこで、オブジェらしきものの上に座り、子供たちに囲まれているというもので、撮影したのは、後にポール・マッカートニーの妻となるリンダ・イーストマンだ。僕が持っているCDの内ジャケに使われている。
「実生活では穏やかなジェントルマンだったジミヘンには、この写真がふさわしい」などと、子供に囲まれているヴァージョンを支持する声もあるけど、音楽とのギャップが大きすぎやしないか。
かといって、横顔ジャケは安直で面白みがない。やはり、ヌード女性ジャケがベストだと思うのだ。蠱惑的な未知の音世界が広がってそうじゃないか。
決して、おっぱいに未練があるわけではなくて。
さて、肝心の音の方だけど、このアルバムはジミ・ヘンドリクスの最高傑作の呼び声高い一枚だ。もっとも、ジミヘンが生前に発表したスタジオ・アルバムは、これを含めても3枚しかないんだけど。
演奏はもちろん、LP2枚組、全16曲、トータル収録時間75分47秒とボリュームも重量級。聴きどころは随所にある。
ハイライトはアルバムの最終盤、「ウォッチタワー All Along the Watchtower」「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン) Voodoo Child (Slight Return)」と続く流れだ。
「ウォッチタワー」はボブ・ディランの「見張り塔からずっと」のカヴァー。オリジナルではブルース・ハープのせつない音色が印象的なのに対し、ジミヘンのヴァージョンは、ギターが歌いまくる。フォーク・ロックをトンがったブルース・ロックに再構築するセンスがすごい。ディランも言っているけど、ジミヘンのオリジナルと言ってもいいレベル。
「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」は、4曲目に収録されている「ヴードゥー・チャイル Voodoo Chile」と同じ曲・・・・・・のはずなんだけど、そう思えないほど、サイケデリックでヘヴィーに生まれ変わっている。
ほかにも、ジミヘンらしいグイグイくる感じのナンバーが並んでいて、とめどなくあふれ出るジミの才能が、見事にパッケージされている。
と、これは、まぁ・・・・・・よく言えばの話。
正直なところ、アルバムをトータルで俯瞰すると、とっ散らかっていて、統一感に欠けていると言わざるを得ない。曲ごとに世界観がコロコロ変わるので、聴き終わっても、一つの作品として明確なイメージを結ばない。
そもそも、全16曲って、ボリュームありすぎだろ。アルバムを一気に聴こうとすると、途中で集中力が切れて、気が付くといつの間にか「ウォッチタワー」が流れていたりする。おっちゃんが老化してんのが原因だろうという見方も否定できないけど。
思うに、このアルバムはLPレコードで聴くべき作品なんではなかろうか。レコードの片面をじっくりと聴く。レコードを裏返した後に深呼吸。そして、ゆっくりとレコードに針を落とし、再び、ジミヘンの世界に身を投じる。
AppleMusicでも連続して聴くのではなく、レコードの片面分で区切って聴いてみると、一曲一曲が「立って」くる。
キャッチーなロックン・ロール「クロスタウン・トラフィック Crosstown Traffic」、マイルス・デイヴィスからの影響がうかがえる「雨の日に夢去りぬ Rainy Day, Dream Away」、その続編かと思いきや、ブルース色全開の「静かな雨、静かな夢 Still Raining, Still Dreaming」、新局面を感じさせるエモーショナルな「真夜中のランプ Burning of the Midnight Lamp」、少しはっぴいえんど(細野大瀧鈴木松本の)ぽい「リトル・ミス・ストレンジ Little Miss Strange」などなど・・・・・・すべてのナンバーが「濃い」。
曲調はバラバラだけど、ジミにとってみれば、どの曲も外すわけにはいかなかったんだろうな。頭の中で鳴り響いている音を一旦追い出さなければ、先へは進めない。天才ならではの、そんな焦燥感さえ垣間見える。
そして、聴き込めば聴き込むほど、このアルバムは「未完成」じゃないかと思えてくる。
アルバムのレコーディングは、1967年7月に始まり、1968年8月まで断続的に続いた。おかげでスタジオ代もかさみ、最終的にちゃんとしたミックスを行う予算が残されてなかったという。そのせいもあってか、曲と曲の繋ぎが甘いし、構成が中途半端な曲も多い。曲順もこれがベストなのかと、疑問に思う。
3曲目の「クロスタウン・トラフィック」は唐突に始まって、投げやりな感じでフェイドアウト。アルバムのラストを飾る「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」でさえ、「さぁ、盛り上がってまいりましたね!」ってところでバッサリ終了。
ブラッシュアップする余地が十分にあることは、ジミにもわかっていたと思うけど、彼にとっては、とりあえずこのアルバムを決着させて、「次」に進むことが重要だったんだろうなぁ。
その「次」が、結局はジミヘンに訪れなかったことが悲劇なわけだけど。
ジミは、この「未完成の最高傑作」を残しバンド、エクスペリエンスを解散。新たにバンド・オブ・ジプシーズを結成するも、1970年にライヴ・アルバム1枚を残して解散。同年9月18日、ロンドンで逝去。享年27歳。最期の瞬間、ジミの頭の中ではどんな音楽が鳴っていたんだろうね。
『エレクトリック・レディランド』は「商品」としては疵が多いアルバムだと思う。でも、ここに刻まれた音楽のジャンルを超越した楽曲群は、ジミヘンが、この後産み出した「はず」の音楽まで予感させる。こんなアルバムはロックの歴史を辿っても、そうそうない。
「最高傑作」の評価に偽りなし。
おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★