長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第73回 #28 Who’s Next (1971) - THE WHO 『フーズ・ネクスト』- ザ・フー
自分があまり聴いていないから言うわけじゃないけど、ザ・フーは、日本ではあまり人気がない。欧米での人気と日本での知名度の低さのギャップは、”Big in Japan”ならぬ”Small in Japan”と揶揄されるほどだ。
「メンバーにカリスマ性がないから」「全盛期に来日公演を行わなかったから」
「奇行ばかりが報道されてキワモノ扱いされたから」など、日本で人気が低い理由には諸説ある。
個人的には単純に「わかりにくい」からだと思う。曲が理解しにくいってことではなく、バンドの実像がつかみにくいという意味。
ザ・フーの代名詞と言えば、ワイルドなライヴ・パフォーマンス。ギターやドラムをぶっ壊しちゃう過激なステージが、活動初期から評判を呼んだ。なかでも、1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルでの楽器破壊は、伝説として語り継がれることになる。
とは言え、オリジナル・メンバーでの来日公演は最後まで叶わず、昔はYouTubeなんてなかったので、日本人がザ・フーの全盛期のライヴを目にする機会は、ごくごく限られていた。
その一方、ラジオで耳にするザ・フーのヒット曲といえば、「アイ・キャント・エクスプレイン I Can’t Explain」「キッズ・アー・オールライト Kids Are Alright」「アイム・ア・ボーイ I am a Boy」など、ソフトなポップ・チューンが多く、「過激なライヴ」とどうも結び付かない。
「こいつら楽器破壊しかねんなぁ」と思わせる楽曲は、パンキッシュな「マイ・ジェネレーション My Generation」くらいだものね。
セックス・ピストルズがカヴァーした「Substitute」でさえ、コーラスが効いたパワーポップで、邦題は「恋のピンチヒッター」だからなぁ。60年代のシングルを聴いていると、ザ・ローリング・ストーンズなんかに比べれば、ずっとお行儀がいい感じがする。
かと思えば、1969年に発表した『トミー』は、一編の小説のような構成で、ロック・オペラの先駆けとして大ヒット。『史上最も偉大なアルバム』2003発表・2012改訂版でも97位にランク・インしていて、この連載でも第5回で採り上げた(見返したら、★★という低評価を付けていた・汗)。
2017年には『トミー』完全ライヴなんてのもやってソフトも出たし、このアルバムは、日本でもかなり認知されているはず。
しかし、「ソフトなポップ・チューン」と「過激なライヴ・パフォーマンス」と「文学的なロック・オペラ」やるバンドなんて、イメージできる?
僕にはできん。できんかったので、ザ・フーはあまり聴いてなかったんだな。
今回、いろいろと調べてみて、このザ・フーの「わかりにくさ」が、結局は、バンドを牽引したピート・タウンゼントのパーソナリティの「わかりにくさ」に起因していることを確信した。
•両親ともにプロのミュージシャンで、音楽的な素養には恵まれていたんだけど、預けられていた祖母が精神を病んでいて、(性的?)虐待を受け、閉じこもりがちな性格に。
•大きな鼻がコンプレックスで、自らのルックスについては自虐的。
•そのくせ癇癪持ちで、ザ・フー結成後も結構な数の非道な行いが語り継がれている。
•1967年にはインドの霊的指導者、メヘル・ババに帰依。彼の教えは『トミー』の制作にも影響を与えているらしい。
ピート・タウンゼントには会ったことないけど、これらのエピソードをたどれば、彼がめんどくさい人であるということは、十二分に伝わる。複雑すぎて、「わかりにくい」。
2019年、タウンゼントは「俺たちがヘヴィ・メタルを『ライヴ・アット・リーズ Live at Leeds』(1970年リリースのライヴ・アルバム)で発明した。レッド・ツェッペリンは、それを盗んだんだ」なんてことを言っている。
レッド・ツェッペリンがデビューしたのは1969年だし、個人的にハード・ロック/ヘヴィ・メタルの萌芽だと評価している『レッド・ツェッペリン Ⅱ』も同年にリリースされている。
『ライヴ・アット・リーズ』の方が後追いじゃん。
同じく2019年には、こんな発言も残している。1977年に亡くなったドラムのキース・ムーンと、2002年に亡くなったベースのジョン・エントウィッスルについて、「彼らに逝ってもらって良かった。一緒に演奏するには厄介な人たちだったからね」。これにはファンも引いたでしょう。
「ステージでギターを壊したのはエモーションに駆られたんじゃなくて、アート表現だったんだよ」なんて発言もどこかで見た。「俺はキース・ムーンみたいな衝動的な人間じゃないんだ」とでも言いたかったのか。つまんない人だねぇ。
タウンゼントは、根本的な部分で病んでいるんじゃないか。トラウマがいまだに心に巣食っている感じ。
そのタウンゼントが、『トミー』の成功に気をよくし、新たなロック・オペラとして企画したのが『ライフハウス Lifehouse』というプロジェクトだったんだけど、メンバーの賛同が得られず、結局、頓挫。
このプロジェクトのために用意された楽曲を、ロック・オペラとしての筋立ては無視して録音したのが、今回のお題、『史上最も偉大なアルバム』2003発表・2012改訂版28位の『フーズ・ネクスト』だ。
結論から言うと、タウンゼントの「めんどくさい」パーソナリティが、ほかのメンバーの個性によって中和されて、すごく聴きやすいロック・アルバムへと昇華されている。
特にファンが多いのが、1曲目の「ババ・オライリー Baba O'Riley」と最後に入っている「無法の世界 Won't Get Fooled Again」。特にアメリカでは、テレビ・ドラマ・シリーズ『CSI:ニューヨーク』『CSI:マイアミ』の主題歌だったこともあって、ザ・フーの全ナンバーのなかでも一、二を争う人気みたい。
この2曲では、シンセサイザーが使われていて、「実験的! 前衛的!」とか「テクノとハードロックの融合だ!」とか「現在のテクノ・ポップよりも刺激的」とか「デジ・ロックの先駆け」とか、やたらめったら絶賛されている。
心して聴いてみるべし。きっと、「へ?」ってなるから。
当時としては冒険的な試みだったのかもしれないけど、いま聴くとなんてこたぁないし、「この音、シンセじゃなくてもよくない?」と思ってしまう。
この2曲の人気の秘密は、シンセ云々じゃなくて、曲としての明快さにあるんじゃないか。2曲目に入っている「バーゲン Bargain」もそうだけど、白人のおっさんが、カラオケで気持ちよく歌ってそう。
そんな、ちょいダサなとこがこのアルバムの魅力だと思う。
演奏は全編を通して充実している。メリハリも効いているし、適度にラフなプレイがライヴ感を醸し出す。
「ロジャー・ダルトリーの音程に合わない曲は、レパートリーから外していた」というバンド初期のエピソードが物語るように、ダルトリーのヴォーカルは線が細くて、リスナーを圧倒するような迫力には欠けている。
その代わり、「ソング・イズ・オーヴァー The Song is Over」「ビハインド・ブルー・アイズ Behind Blue Eyes」のバラード・パートでは、繊細な表現を聴かせる。
タウンゼントのギターは手堅い。この人の美点は弾きすぎないことだろう。曲のトーンを守って、的確にリフをぶっ込んでくる感じ。特に「無法の世界」でのギターは、キャッチーでいい塩梅。サザン・ロック調の「ラヴ・エイント・フォー・キーピング Love Ain't for Keeping」のプレイも渋い。
タウンゼントとダルトリーは、いまも健在で、2019年には、ザ・フーとして13年ぶりのスタジオ・アルバム『WHO』をリリースしている。
しかし、『フーズ・ネクスト』で終始演奏をドライヴさせるのは、ジョン・エントウィッスルのベースとキース・ムーンのドラムだ。
エントウィッスルのベースはメロディアスで、重要無尽に走り回る。一方、ムーンのドラムはバタバタとたたみかける手癖(フィルインていうんですって)で場を制圧。ほかのバンドとは違って、2人ともリズムをキープするのではなく、自由気ままに演奏している感じなのがおもしろい。
特に「ゲッティング・イン・チューン Getting in Tune」の終盤では、2人の本領発揮という感じで、それぞれ好き勝手に、熱く盛り上がるのだった。
通して聴くと、バンドにまとわりついていたいくつかのイメージが、ようやく一枚のアルバムとして像を結んだという意味で、『フーズ・ネクスト』がザ・フーの到達点であり最高傑作だと納得する。
曲は粒揃いだし、演奏も絶好調。変なコンセプトもないので、非常に「わかりやすい」アルバムに仕上がっている。
しかし、それでも・・・・・・個人的になんかノレない。
ザ・フーは、ブルースの影響が薄いから後世のパンクにも支持されたという説がある。そうかもしれんなぁと『フーズ・ネクスト』聴いて思った。
彼らの演奏は、見事にドライヴしているんだけど、その感触は「グルーヴ」ってのとはちょっと違う。直線的で非常に白人的。しかも、パンクほどのキレもなく、ちょいダサ。
それをよしとするかどうかは趣味の問題なので、このアルバムの28位という高評価にケチをつける気はない。若いリスナーが聴いたら違う印象を抱くのかもしれないし。
でも、おっちゃんは、1965年以前のポップ・チューンの方が好きなのだ。なので点数は『トミー』に続いて・・・・・・
おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★