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転がる石のように名盤100枚斬り 第54回 #47 A Love Supreme (1964) - JOHN COLTRANE 『至上の愛』 - ジョン・コルトレーン

転がる石のように名盤100枚斬り 第54回  #47 A Love Supreme (1964) - JOHN COLTRANE 『至上の愛』 - ジョン・コルトレーン

パブリック・エネミーの『』がお題だった前回、チャック・Dが自分たちをジョン・コルトレーンになぞらえていたというエピソードを紹介した。


新たな時代を切り拓く革新者の例として、彼はコルトレーンに言及した訳だ。そして、今回のお題、ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』46位は、なんと、そのジョン・コルトレーンの名盤なのだった!



まぁ、偶然ですけどね。



チャック・Dのコメントを読んだ当初は、パブリック・エネミー(PE)とコルトレーンの組み合わせを意外に感じたんだけど、よく考えると、そうでもなかった。むしろ、ある人物を間に挟むとムッチャ近い。その人物とは、映画監督スパイク・リー だ。


スパイク・リーの出世作と言えば、本人が主演も務めた1989年の『ドゥ・ザ・ライト・シング Do the Right Thing』。


人種間の軋轢を描いたこの映画では、PEの楽曲「ファイト・ザ・パワー Fight the Power」が大々的にフィーチャーされ、この曲を収録した彼らのサード・アルバム『ブラック・プラネット Fear of a Black Planet』(1990年)も大ヒット。僕がPEを知ったのも、この映画がきっかけだ。


そして、スパイク・リーが『ドゥ・ザ・ライト・シング』の次に手がけた映画が、『モ・ベター・ブルース Mo’ Better Blues』(1990年)。実は、この作品は、今回のお題、コルトレーンの『至上の愛』がモチーフとなっている。


映画制作以前から、スパイク・リー はコルトレーンを崇拝していたようだ。PEの革命的なラップを原動力に『ドゥ・ザ・ライト・シング』を制作したように、コルトレーンのカリスマと向き合って『モ・ベター・ブルース』を生み出したのだ。


コルトレーンへの想いは、きっとチャック・Dにも共通するものだろう。新しいアートを生み出そうとする黒人クリエイターにとって、コルトレーンは神にも等しい存在なのだった。



さて、今回のお題、『至上の愛』は、大学生のころにCDを買って、繰り返し聴いてきたアルバムだ。間違いなくジャズのアルバムで最も聴いた作品。


映画『モ・ベター・ブルース』では、ラストに、コルトレーンによるこんな一文が映し出される。


神は常に共にある/神は限りなく慈悲深い/愛によって道は示される/我ら皆に等しく/これは真に「至高の愛」


このフレーズは、『至上の愛』のインナー・スリーヴ(かなレコードだと)のために、コルトレーンが寄せた「親愛なるリスナーへ」という文章からとられている。


CDにも転載された文章を読むと、やたらと「皆で神を讃えよう(ALL PRAISE TO GOD)」と繰り返てて、ちょっと気色が悪いんだけど、このアルバムで、コルトレーンが目指した世界は、この一文に集約されていると言っていいだろう。



ひとことで言えば「スピリチュアル」ちゅうやつですね。



コルトレーンは、ユダヤの神秘主義思想であるカバラに影響を受けて、『至上の愛』を制作したらしい。「カバラってなにさ?」と思って調べたけど、よくわからなかった。まぁ、当時のコルトレーンがつきあいやすいやつじゃなかったことだけは確かだろう。



しかし、「神ガー」とか「神秘ガー」とか言っているから、『至上の愛』が抹香臭い作品かというと、まったくそんなことはなく、ロックやラップを愛好するリスナーにとっても、とても聴きやすく、刺激的な作品だと思う。



僕は、ジャズ・ファンってわけじゃないので、このアルバムのバックグラウンドは、これまであまり気にしていなかった。それに、いまも昔もそうだけど、ジャズを系統立てて聴いてきたわけではないので、『至上の愛』が歴史的にどのような革新性を持っているのかは、正直言ってまったく理解してない。


それなのに、およそ30年間、なんで繰り返し、このアルバムを聴いてきたかというと、純粋にカッコいいから。コルトレーンの吹くサックスはストイックで、その佇まいはまさにジャズの求道者。そして、彼が吹くサックスの一音、一音の切れ味は実に鋭利だ。音が聴く者の心に刺さる。



ジャズの素人なりに1940年代以降の、モダン・ジャルの歴史をざっと俯瞰すると、チャーリー・パーカーに代表されるビバップから、アート・ブレイキーが先導したハード・バップへと繋がり、そのスタイルに飽きたらなかったマイルス・デイヴィスが、モード・ジャズを生み出す。60年代後半には、すべてのスタイルを否定し、インプロヴィゼーションをメインとするフリー・ジャズが隆盛を迎える。


それぞれのスタイルがどんな特長を持っているかは、ジャズに詳しい人に聞いてください。


『至上の愛』は、モード・ジャズの末期に登場した作品だけど、僕が感じた「カッコよさ」は、ジャズとしての奏法や理論とは、違う次元のものだ。



「承認(Acknowledgement)」「決意(Resolution)」「追求(Pursuance)」「賛美(Psalm)」と4つのパートに分けられた組曲は、「神の大いなる愛」に感謝を捧げるものだと、コルトレーン本人は言っているけど、実際に音を聴いていると、神と対話しているというよりも、コルトレーンは、自身の心の奥深くに分け入っているように思える。


「承認(Acknowledgement)」で聞こえる”A Love Supreme”というマントラみたいなおっさんの呟き声は、自分自身に暗示をかけているように聴こえるし、そもそも、4つの曲のタイトルは、コルトレーンの精神状況を表したものじゃないか。


「黄金のカルテット」と呼ばれた、ピアノのマッコイ・タイナー、ベースのジミー・ギャリソン、ドラムスのエルヴィン・ジョンソンの演奏は、スリリングでコンビネーションもすばらしい。でも、そこから浮かび上がってくるのは、自らの魂の深淵を覗こうと苦闘する、コルトレーンの孤独な姿だ。



ハード・ボイルド。



『至上の愛の』の「カッコよさ」のエッセンスは、この言葉に尽きるのかもしれない。



そして「カッコいい」だけでは終わらないのが、この作品の傑作たる所以だ。


コルトレーンが、彷徨の末にたどり着いたのが、『至上の愛』最終曲「賛美(Psalm)」なんだけど、何度聴いても神の愛を「賛美」しているようには思えない。


むしろ感じるのは「諦念」。自分の内面を掘り下げた結果、人間の限界を知り、無力感にさいなまれつつも、生きていくためのよりどころとして、神の前にひれ伏し、心の安寧を求めるほかない。


結局、人間は神とは「対話」することなんてできないという諦め。我々は一方的に神を讃えることしかできないのだ。


『至上の愛』を聴けば聴くほど、「人間」コルトレーンの姿が浮かび上がってくる。



コルトレーンの人生については、ほとんど知らなかったのだけど、この機会にちょっと調べてみた。


1946年、20歳のときから本格的に音楽活動をスタートさせたコルトレーンが注目を浴びたのは、1955年、マイルス・デイヴィスのバンドに加入したことがきっかけだった。しかし、当時のコルトレーンは、技術もセンスも満足のいくレベルには達しておらず、マイルスのファンからも酷評を浴びる。


コルトレーンが音楽的に飛躍した背景には、ジャズ・ピアノの革新者、セロニアス・モンクとの出会いがあった。1957年、モンクに弟子入りしたコルトレーンは、ジャズについて様々なことを学び、ついに開眼。


1958年にはマイルスのバンドに再加入。かつてのコルトレーンとは異なり、自信あふれるプレイでセンセーションを巻き起こす。


その後、「黄金のカルテット」を結成し、ヒット・アルバムを連発。1965年に本作『至上の愛』を発表すると、「黄金のカルテット」を解散。フリー・ジャズに傾倒し、保守的なジャズ・ファンに衝撃を与える。1966年には来日公演を果たすも、翌1967年に肝臓がんにより死去。



こんな感じで、コルトレーンの生涯を振り返ってみて、僕の頭に浮かんだのは、映画『スター・ウォーズ』の主人公、ルーク・スカイウォーカーだった。


運命の導きでオビ=ワン・ケノービ(マイルス・デイヴィス)に見出されるも、ジェダイの騎士としては成熟というにはほど遠く、ルークが覚醒するためには、ヨーダ(セロニアス・モンク)のサポートが必要だった。フォース(ジャズ)がなんたるものかということを学んだルークは、苦闘を繰り広げるが、最終的に、悪の巣窟、銀河帝国を滅ぼし、一人のジェダイとして銀河に安寧をもたらす。


ほぼ、コルトレーンの生涯だな。コルトレーンはジャズの求道者、修行僧、つまりジェダイだったのだ。



残念ながらルーク・スカイウォーカーは、その後も生きながらえてしまい、新三部作で老いさばらえた姿をスクリーンに晒した。



みんなディズニーが悪い。



話を戻す。なんかよくわかんない闘いで命を落としたルークとは違い、コルトレーンは40歳で早逝。20年という短い活動期間に数多くの傑作を残し、伝説となった。


コルトレーン円熟期に発表した『至上の愛』は、その生き様が音の結晶として刻まれた、ジャンルを超越した作品だ。ロック・ファンにこそ、ぜひ聴いてほしい超名盤である。



おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★★






長谷川 和芳
長谷川 和芳

長谷川 和芳 KAZUYOSHI HASEGAWA

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1969年、福岡県ディープエリア筑豊生まれ。開店休業中の雑誌編集者。九州ウォーカー、某弱小エアラインの機内誌の編集長を経て、なぜか今は京都の旅館の運営が業務の中心。あと染織作家である家人の話し相手など。