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山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.8〜志賀島への冒険
志賀島への冒険
空路で故郷に還るとき。鶴の細長い首のような半島の先に志賀島が見えてくると、なんとも言えない郷愁がこみあげてくる。白い砂とともに。
東区に育った少年にとって、あの島はワンダーランド。うちにはクルマがなくて、滅多にいくことができなかったから、親類に頼んで連れていってもらうしかない。福岡のカリフォルニア、海の中道。ホットドッグ屋をすぎて、米軍の飛行場跡を越えて、志賀島に入る直前、ついに両側が海になる。
瞬間、胸が高鳴る。今でもくっきりと思い出せる。
あそこに自力で行ってみたい。8歳くらいになると、少年は自転車で志賀島を目指す。島を一周して往復で50キロ足らず。でも少年にとっては立派な冒険。
乗っていたのはブリジストン・バンビ号。変速装置もない20型の子供用チャリンコ。
ある春の日、決行を決めて、親にも告げず、全財産(たぶん100円くらい)を握りしめて家を出る。
脅すように走り抜けるダンプ、海から吹き付ける風と砂。なかなか前に進まない。正直、怖かった。でも、島に入る直前、両側が海が拓けたときの興奮はきっと一生忘れないね。
たぶん、このプチ冒険で大人の階段を3段くらい登った。この生き方は自分に合ってるとも思った。そしてそれは今も続いてる。コロナの世界になっても。人生は一回。やりたりことをやりたいようにやるってこと。
福岡の街は車で15分走れば、海も山もある。街に行けば、欲しいものはたいてい手に入る。空港は近いし、食べ物は美味い。人は情に厚く、こんなに住みやすい街はない。
だからこそ街を出なきゃ、と思った。今やもう、福岡を出てからの、流浪の暮らしの方がはるかに長いけれど、日々は志賀島からずっと繋がってる。
あのコーフンとともに。
ヴォーカリスト、ギタリスト、ソングライター、プロデューサー、そしてランナーにして、スノーボーダー。
1979年、福岡にてヒートウェイヴを結成。1990年、上京しメジャーデビュー。現メンバーは山口洋(vo.g)、池畑潤二(ds)、細海魚(key)。山口洋がソロツアーの旅で新たな曲をつくってバンドに持ち帰るというスタイルで、ほぼ全曲の作詞と作曲を担当する。1995年の阪神・淡路大震災後、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と「満月の夕」を共作。2011年の東日本大震災直後からは「MY LIFE IS MY MESSAGE」プロジェクトのさまざまな活動により、福島県の相馬をピンポイントで応援し続けている。仲井戸麗市、佐野元春、遠藤ミチロウ、矢井田瞳ら国内のミュージシャン、ドーナル・ラニー、キーラらアイルランドを代表するミュージシャンとの共演も多い。
http://no-regrets.jp