酒場SAKABA
山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.7〜コロナを超えて
今回はクリちゃん(クリゼンの愛称 byわたくす)と話しあって、博多の話ではなく、コロナにまつわることを。
多くの人々が苦しんでいるコロナ(僕は個人的にコと呼びます。その方がなんとなく気持ちが軽くなるから)のこと、そこからサヴァイヴするためのヒントのひとつになれば、と。
95年の大震災。生きている間にこれ以上の災害はないだろうと思ったけれど、甘かった。2011年の大震災アゲイン、そして原発事故。
明日があるのは当たり前じゃなかったんだ、と。そのとき、青森に住んでる僕のマブダチがこう言ったのです。
「俺たちが信じてきたものを、今鳴らさなくて、いつ鳴らすんだ!」って。
目が覚めましたね。いまでも迷うと、この言葉を思い出します。
さて、コ。
世界が街が人々が。日に日に荒んでいくのが手に取るようにわかる。こんな世界に暮らしていたくない。なにかできることはないのだろうか?
ともだちのアーティストがインスタライヴで好きなレコードを流していることにヒントを得て、週末にワンオペでインスタライヴを始めました。せめて、週末くらい人々にほっこりしてもらいたかったから。
はじめてそこで歌ってみたときに。全国の気持ちがポジティヴに繋がっていくのを見て、カンドーとともに、可能性を感じたのです。これは続ける意味がある、と。
なにせ時間だけはたっぷりあったのです。観てくれている人が飽きないように、毎週手を変え、品を変え。そのプロセスも悪くなかった。
10週続けたところで、緊急事態宣言は解除。僕の役目も一旦終わり。ちょうどその頃、苦境に陥っていたライヴハウスが配信に活路を見出すべく頑張っているとの情報が。んー、でもそりゃ一回下見をしなきゃなんともね。
ライヴハウスはもちろん休業中。でも、わかっていたのです。そこでやることになるなら、必ずドアは開いていると。アポなしででかけてみると、想像通り、ハコのスタッフが総出でメインテナンスしているところでした。世代はふた回りくらい下だったけれど、その目がよかった。まだ燃えていた、というか。
即決。そしてバンドの無観客配信ライヴをやることに。
でも、正直言ってどれだけの人が見てくれるのか不明。おまけにこんな時期なので、蜜を避けるために入念なリハーサルは不可能。結局、そのハコを二日間借りて、リハーサルと本番をやることに。
うちのスタッフたちを含め、そこに関わっていた男たち約20人。この数ヶ月全員仕事がなかったのです。ひとつの目標に向けて、人々に音楽を届けるために、身を粉にして働く世代を超えた男たち。
いい目をしてたなぁ。
この時代、成功させるためには宣伝も自分でやります。クリちゃんにメールして、「ラジオ出させて!」。笑。もちろん応えてくれましたとも。ある意味、いい時代。音楽事務所に籍を置いて、レコード会社と契約していたなら、こうはいかない。独立してると身が軽い。
ピンチはチャンスでしかないのです。必要は発明の母。蜜を商売にしてきたけど、蜜がダメならなにか考えればいい。チャレンジあるのみ。
それがコを超えていく途中の僕の実感。
今日はその日の一曲目の演奏を聞いてみてください。なんだか、音がこっちに突進してくる感じが、なんとも大人げなくて、素敵。エンジョイ!
笑いを忘れず、生き延びようぜ、兄弟!そして姉妹。
山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.6〜身体に稲妻が走った日 / Still life with my GTR
ヴォーカリスト、ギタリスト、ソングライター、プロデューサー、そしてランナーにして、スノーボーダー。
1979年、福岡にてヒートウェイヴを結成。1990年、上京しメジャーデビュー。現メンバーは山口洋(vo.g)、池畑潤二(ds)、細海魚(key)。山口洋がソロツアーの旅で新たな曲をつくってバンドに持ち帰るというスタイルで、ほぼ全曲の作詞と作曲を担当する。1995年の阪神・淡路大震災後、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と「満月の夕」を共作。2011年の東日本大震災直後からは「MY LIFE IS MY MESSAGE」プロジェクトのさまざまな活動により、福島県の相馬をピンポイントで応援し続けている。仲井戸麗市、佐野元春、遠藤ミチロウ、矢井田瞳ら国内のミュージシャン、ドーナル・ラニー、キーラらアイルランドを代表するミュージシャンとの共演も多い。
http://no-regrets.jp