転がる石のように名盤100枚斬り 第67回#34 Music From Big Pink (1968) - THE BAND 『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』 - ザ・バンド
『ローリングストーン誌が選ぶ史上最も偉大なアルバム』2003発表・2012改訂版34位は、意外や意外、ザ・バンドのファースト・アルバムだった。
なんで意外かというと、ザ・バンドの最高傑作は、セカンド・アルバム『ザ・バンド』だというのが、昨今では定説になっているから。『ザ・バンド』は『史上最も偉大なアルバム』2003発表・2012改訂版では45位にランクインし、すでにこの連載の第56回で紹介済みだ。
昨年(2020年)発表された『史上最も偉大なアルバム』最新版をチェックしてみると、セカンド・アルバムは12ランク・ダウンの57位。一方、ファースト・アルバムの方は100位までダウンしていた。なんと66ランク・ダウン。現時点での最高傑作と評価されているのはやはりセカンドか。ここ何年かでファーストの評価は暴落しちゃったみたいだ。
ファースト・アルバムが上位にランクインしていると知っていたら、昨秋公開されたドキュメンタリー映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を観たのになぁ。確か、KBCシネマでやってたはずだけど、ロビー・ロバートソンの自伝が原作だと知って、劇場に足を運ぶのを止めた。
実は、僕は、ザ・バンドのギター&ソングライティング担当のロビー・ロバートソンという人が苦手なのだった。
きっかけは、ザ・バンドのラスト・ライヴ『ラスト・ワルツ Last Waltz』を記録した映画だ。ライヴ自体は1976年に開催され、ボブ・ディランにマディ・ウォーターズ、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、エリック・クラプトンなどなど、錚々たるゲストが参加している。マーティン・スコセッシが監督した映画は、1978年に公開された。僕が初めて観たのは学生の頃。ビデオをレンタルしたのかな。
ザ・バンドの演奏では、ドラムのリヴォン・ヘルムのパフォーマンスが素晴らしかった。ドラムを叩きながらシャウトする姿がカッコいい。まさにアメリカン・ミュージックらしいヌケの良さ。メンバーで唯一のアメリカ人だしね。あと、ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェルというカナダ勢のステージも印象に残っている。2人とも若かった。
で、違う意味で印象に残っているのが、ロビー・ロバートソンの芝居がかった振る舞いなのだ。演奏シーンでもインタビューでも、自己顕示欲が鼻につく。常に画面の真ん中にいないと気が済まない感じ。
“ザ・バンド”というバンド名は、匿名性を担保するために命名したと、ロバートソン自身がどこかで語っている。自分たちは純粋なミュージシャン集団だということだろう。でも、『ラスト・ワルツ』のロバートソンは、「純粋なミュージシャン集団」どころか、ロック界のセレブを気取っているように見える。
象徴的なのは、ボブ・ディランを囲んで参加ミュージシャン総出で演奏するフィナーレ。ロバートソンはディランの隣に陣取って、媚びるような目でディランを見つめながら演奏する。
この時はリハなしだったので、ディランの演奏に合わせるために、その手元を凝視していたのかもしれないけど、監督のスコセッシは明らかにロバートソンを「主役」として切り取っていた。
映画を観終わって、なんか、いや~な感じが残った。
あとで知ったことだけど、そもそも『ラスト・ワルツ』というイベント自体が、ロバートソンが独断で企画・開催したもので、ほかのメンバーは、これがバンドのラスト・ステージなろうとは、まったく思ってなかったらしい。
にわかには信じがたいエピソードだ。こんなことってあるんかね???
ロバートソンは、自分以外のメンバーがドラッグ漬けで、レコード制作にまったく貢献しようとしない状況に嫌気がさしていたという話もある。ザ・バンドに早く見切りをつけて次のステージに進みたかったんだろう。上昇志向が強いのだ。
実際、ザ・バンド解散後、ロバートソンはスコセッシとの親交を深め、数々の映画で音楽監督を担当することになる。この世渡りのうまさ。リヴォン・ヘルムが死ぬまでロバートソンを許さなかったのも宜なるかな。
そんなこんなで、ロバートソンには悪い印象しかなかったので、ヤツが都合よくストーリーをでっち上げた映画に金払えるかよってな感じで、『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』はスルーしたのだった。でも、レヴューを読むと評判は悪くないですね。CSとかで放映されたら観ます。
さて、肝心の『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』(以下『ビッグ・ピンク』)はどんなアルバムなのか。
セカンド『ザ・バンド』について「心に響かない」なんて酷評しといてなんだけど、『ビッグ・ピンク』の方は、個人的にはすごく好きなアルバムなのだった。大学生のときからかれこれ30年間は愛聴している。
セカンドはダメなのにファーストは良いの?
我ながら「なんでかなぁ」と不思議に思い、セカンドも改めて聴き直した。悪くない。演奏はタイトだし、曲もいい。でもやっぱりグッとくることはない。アルバムを通して聴くと、まとまっていて完成度は高いけど、その分単調。
それに対して『ビッグ・ピンク』は、演奏はシンプルで粗削りだし、ゆるく感じるところもある。でも、セカンドにはない熱いソウルみたいなものを確かに感じる。この印象はどこから来るんだろう?
アルバムは物悲しいオルガンの音で幕を開ける。スピリチュアルな手触りも感じるスローなバラード「怒りの涙 Tears of Rage」だ。
僕がもっているCDはアメリカ盤なので歌詞カードは入ってない。だから、何を歌っているのかはまったくわからなかったけど、曲調とタイトルから「堕落した人間に対する神の怒りを歌ってるんだとうなぁなんて、30年間近く思っていた。
しかし、ネットで見かけた記事によると、グレた娘を嘆くお父ちゃんの心情を描いた曲だそうな。
どこがスピリチュアルなんだ。
歌詞を書いたのはボブ・ディランみたいだけど、それにしても、よくこんな内容の曲をアルバムの1曲目にもってくるよね。若者に忖度する気ゼロ。
続く「トゥ・キングダム・カム To Kingdom Come」は威勢の良いスワンプ・ロック。映画『イージー・ライダー Easy Rider』(1969年)で流れたことで一躍ハクをつけた「ザ・ウエイト The Weight』はコーラスが印象的なカントリー・ロックの名曲。
不思議な効果音(シンセ?)が入ったブルージーなナンバー「チェスト・フィーバー Chest Fever」もユニークだし、「火の車 The Wheels on Fire」のリック・ダンコのヴォーカルは節回しがディランぽくて微笑ましい。
そして、「イン・ア・ステーション In a Station」「ロンサム・スージー Lonesome Suzie」「アイ・シャル・ビー・リリースト I Shall Be Released」でのリチャード・マニュエルの歌声は、心に染み入る。
アーシー一辺倒ではなくて、音楽的な冒険心も垣間見えるし、セカンドに比べると曲調もバラエティに富んでいる。要は聴いていて楽しい。
『ビッグ・ピンク』とセカンドの、この差。それぞれのアルバムの収録曲のクレジットを見れば、なぜこんなに印象が違うのかすぐにわかる。
セカンド・アルバムには12曲が収められているけど、すべてロビー・ロバートソンの名前がクレジットされている(うち4曲がほかのメンバーとの共作)。
一方、『ビッグ・ピンク』に収録された11曲のソング・ライティングのクレジットは下記の通り。
ロビー・ロバートソン 4曲
リチャード・マニュエル 4曲(うち1曲はボブ・ディランとの共作)
リック・ダンコ 1曲(ボブ・ディランとの共作)
ボブ・ディラン単独 1曲(「アイ・シャル・ビー・リリースト」)
古いカントリーのカヴァー 1曲
名曲「ザ・ウエイト」を筆頭に、ロバートソンによる楽曲が目立ってはいるけど、それに拮抗するようにリチャード・マニュエルが存在感を放っている。彼の手による4曲「怒りの涙」「イン・ア・ステーション」「ウィ・キャン・トーク We Can Talk」「ロンサム・スージー」はすべて素晴らしい出来。メロディの美しさが際立っている。
ディランが書いた「アイ・シャル・ビー・リリースト」もマニュエルの名唱があったからこそ、胸に迫ってくるチューンに仕上がったわけで、彼のこのアルバムにおける貢献度はロバートソン以上なんじゃないか。
マニュエルは、セカンド・アルバムでも、「ウィスパリング・パインズ Whispering Pines」など3曲のソング・ライティングでクレジットされているけど、いずれもロバートソンとの共作だ。改めて聴いても、大事な何かが失われてしまったように思える。感情を揺さぶる何か。
セカンドは全体的に、ロバートソンの器用さというか、プロデューサー的な資質が裏目に出たんじゃないか。ヤツが人間的にひでぇ野郎かどうかは別としても。
『ビッグ・ピンク』のサウンドを評して「リトル・ウィリー・ジョンソン(50年代に活躍したR&Bシンガー)のユーモアと、ステイプル・シンガーズ(ゴスペル・ソウル・グループのレジェンド)風の歌、スモーキー・ロビンソン(ソウル界の重鎮)・マナーの高音ヴォイスの合体」と言ったのは、マニュエルではなくロバートソンだけど、ここに挙げられているのが、すべて黒人ミュージシャンだというのが興味深い。
確かに『ビッグ・ピンク』からは黒人音楽の影響が嗅ぎ取れる。そして、それを象徴するのが、マニュエルのソウルフルなファルセット・ヴォイスだ。このアルバムのソウル=魂はここにある。
加えて、彼の書いた曲や歌声からは、ほかのメンバーにはない繊細さを感じる。エモーショナルだけど、どこかヒンヤリした感じ。そして、それが、このアルバムに豊かな陰影を与えている。
残念ながら、その繊細さによって、マニュエルは我が身を滅ぼしてしまった。ザ・バンド活動中から酒とクスリに溺れ、クリエイティヴィティを発揮する機会は徐々に失われていく。彼がフロリダのモーテルで首をくくったのは1986年、42歳の時だ。
でも、それはまた別の話。そんな結末は知らなくてもいい。バンドの演奏に耳を澄ませて、『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』という奇跡みたいなアルバムが生まれたことを祝うべし。ノスタルジックだけど、ソウルフルで活気に満ちていて、同時に儚い。僕にとっては、やっぱりこのアルバムがザ・バンドの最高傑作だ。
おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★★