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山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.3〜多夢の菅さん 

山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.3〜多夢の菅さん 

photo by 三浦麻旅子



多夢の菅さん 

 このサイトの首謀者、クリゼンとは古の博多について、"酒場放浪紀"のようなものを書こうと話しあっていたけれど、だんだん博多人情伝になってきたような。苦笑。でも、それもまたよかろう。


 1980年代。大名に「多夢」という小さなライヴハウスがあった。覚えてる人いるかな?マスターの菅さんはヒゲ面かつコワモテだけれど、音楽愛に溢れていて、根っこはとても優しい人だった。アメリカ南部の音楽をこよなく愛していらっしゃった。


 エピソード1。


 菅さんが愛してやまないドクター・ジョンが多夢でライヴをやることになった。でもドクターは生ピアノじゃなきゃライヴをやらない。多夢にピアノはないし、入り口が狭くてピアノを運び込めない。思い悩んだ菅さん、入り口をぶっ壊した。あのスペースでドクター・ジョンを見たら、たぶん一生トラウマになるな。笑。


 エピソード2。


 貧乏な地元ミュージシャン(僕)には格安で本物のライヴを見せてくれた。「お前、憂歌団は見とけ!」、みたいな感じで。憂歌団の人気はすごかった。人が入りすぎて、メンバーがステージにたどり着けない。楽器はダイバーよろしく、客たちが頭上で手渡しでステージに運ぶ。あり得ない光景。この話、約35年越しに、ようやく内田勘太郎さんにお伝えすることができた。氏の記憶とは若干違っていたけど(ミュージシャンは夢見がちな人が多いから、記憶を創造する)多夢のこと覚えていらして、嬉しかった。


 エピソード3。


 博多といえば、山善こと山部善次郎さん(以下、あえて敬称略。その方が話に凄みが増すから)。お腹をすかせた山善がバイクに乗ったまま店に侵入。カウンターに座っていた客のナポリタンを「ごっつぁんです」と一声発したあと、手づかみで食べて、店内でUターンして出て行ったって話。時間の経過とともに多少デフォルメされているかもしれないが、あの頃の博多、まして多夢なら大いにあり得る。


 はてさて。当時のHEATWAVEには僕ではないヴォーカルがいた。でも、多夢のライヴの前日に辞めやがった。チケットは売り切れ。なんてこった。残された僕らは頭を抱える。


 仕方なく僕が歌うことに。でも、今まで一度も歌ったことなんてないからして、それはそれはヒドいライヴだった。今でも思い出したら吐きそうになるくらいに。客席から飛んできた「金返せ!」という罵声が忘れられない。記憶が正しければ、その客に「2年くれ!」と返した気がする。


 でもおかしなことが起きた。それまでギターをどんなに一生懸命弾いていても、褒められることなんてなかったのに、この日を機にいろんな人が僕のギターを褒めるようになったのだ。


 つまり、歌うことに必死になるあまり、ギターを弾くという行為を手放したのだろう。それゆえ、作為ではなく感情が自然に表現される。


 その日の打ち上げで、菅さんは僕にこう言った。


 「お前の歌は未知数だけれど、ギターは必ずワールドレベルになれる。だからここで諦めるな!」。


 どえらく響いた。辛いときはいつもこの言葉を反芻した。なんなら今だって。僕は菅さんの音楽愛と審美眼を信じているから。


 僕らがデビューする前に菅さんは体調を崩され、故郷の四国に帰られて、亡くなったと聞いた。なにひとつ恩返しができないまま、、、。


 出会った頃の菅さんより、もう僕の方が年上。だから彼の教えを胸にずっと前を向いて、ステージに立ち続けることだけが恩返し。


 「多夢」(たむ)。ほんとうにいい名前だよ。夢はでっかい方がいい。そう思わない?菅さんが屋号に込めた想いが今になって響いてくる。


 菅さんとその人情に愛と感謝と敬意を込めて。


ボーカリストが居た頃のHEATWAVE


菅忠雄さん

写真提供 元永直人



博多今昔のブルース Vol.2

博多今昔のブルース Vol.4

山口洋
山口洋

山口洋 HIROSHI YAMAGUCHI

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ヴォーカリスト、ギタリスト、ソングライター、プロデューサー、そしてランナーにして、スノーボーダー。

1979年、福岡にてヒートウェイヴを結成。1990年、上京しメジャーデビュー。現メンバーは山口洋(vo.g)、池畑潤二(ds)、細海魚(key)。山口洋がソロツアーの旅で新たな曲をつくってバンドに持ち帰るというスタイルで、ほぼ全曲の作詞と作曲を担当する。1995年の阪神・淡路大震災後、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と「満月の夕」を共作。2011年の東日本大震災直後からは「MY LIFE IS MY MESSAGE」プロジェクトのさまざまな活動により、福島県の相馬をピンポイントで応援し続けている。仲井戸麗市、佐野元春、遠藤ミチロウ、矢井田瞳ら国内のミュージシャン、ドーナル・ラニー、キーラらアイルランドを代表するミュージシャンとの共演も多い。
http://no-regrets.jp