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長谷川和芳 | 転がる石のように名盤100枚斬り 第99回 #2 Pet Sounds (1966) - THE BEACH BOYS 『ペット・サウンズ』- ザ・ビーチ・ボーイズ

「連中が人気なのは、AからZの順にロックバンドを並べたら、ビートルズの隣にあるからだ」「まぁ、やつらにも6つくらいは、いい曲があるよな」と、ノエル・ギャラガーはザ・ビーチ・ボーイズについて語ったそうな。


検索しても出てこなかったから、僕の勘違いかもしれないけど、ほかにもノエルは「オールタイム・ベストでビーチ・ボーイズが2位とかありえんやろ」とも発言していたような気がする。ここで言及されているのは、(この発言が現実であれば)ローリング・ストーン誌が選ぶ『史上最も偉大なアルバム』(2003年発表・2012年改訂版)2位の『ペット・サウンズ』のことだろう。


以前から名盤の誉は高いわけだけど、トップ10の顔ぶれが様変わりした、2020年発表の最新版でも、変わらず2位につけていたのには驚いた。ノエル激怒間違いなし。僕はノエルとは違い、『ペット・サウンズ』が名盤であることに異論はなかったんだけど、このアルバムのなにが2020年代のリスナーに響くのか、ちょっと計りかねていた。



『ペット・サウンズ』は、ザ・ビートルズ『ラバー・ソウル / Rubber Soul』を超えるロック・アルバムをつくろうと、ビーチ・ボーイズのリーダー、ブライアン・ウイルソンが構想したアルバムと言われている。『ラバー・ソウル』は、『史上最も偉大なアルバム』(2003年発表・2012年改訂版)5位にランクインしていて、第96回でレヴュー済み。


で、『ペット・サウンズ』に触発されたビートルズは、『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド / Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』(1967年)を制作することになる。


『ラバー・ソウル』→『ペット・サウンズ』→『サージェント・ペッパー~』。


実は、この並びにも違和感がある。それぞれのアルバムが志向しているものがバラバラなんだよなぁ。1960年代後半は、「ロック・ミュージック」の定義が飛躍的に拡大した時代だから、3年の間にリリースされたこの3枚に共通点を見つけにくいのは、仕方ないのかもしれないけど。


ちなみに『ペット・サウンズ』のリスニング・パーティに参加したポール・マッカートニーとジョン・レノンがジョンのアパートに戻って書いた曲が、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」らしい。むっちゃベタなバラード。後年ポール自身が、『ペット・サウンズ』収録の「神のみぞ知る / God Only Knows」のコーラスの美しさに影響を受けたと語っている。アルバム『ペット・サウンズ』のサウンドに衝撃を受けたわけじゃないの???



いずれにしろ、個人的な『ペット・サウンズ』の印象としては、実に美しいアルバムだけど、感情移入できないという感じ。これまでもある種の「アート」として愛でてきたわけだけど、その表現の核となるもののがなんなのかは考えたことなかった。


ノエルじゃないけど、しょせんはビーチ・ボーイズだし。



『ペット・サウンズ』にビーチ・ボーイズ最大のヒット曲「グッド・ヴァイブレーション / Good Vibration」が収録されていれば、また印象が変わっていただろう。336秒の間に繰り広げられるスペクタクルは、『サージェント・ペッパー~』を超える芳醇な音楽体験だし、『ペット・サウンズ』に鮮やかな色彩を加えたはずだ。


しかし、ブライアン・ウィルソンは、この曲を『ペット・サウンズ』に収録することを拒む。


なんで???



そこで今回、一からこの名盤に向かい合ってみましたよ。幸い、我が家には1997年に買った『ペット・サウンズ』の日本盤CDがあるのだ。ライナーノートを執筆しているのは、御大・山下達郎。おそらく目を通すのはCD購入時以来、2度目。達郎、ごめん。


このライナーノートが熱かった。『ペット・サウンズ』のサウンドが、当時のミュージック・シーンにおいていかに斬新であったかということ、そして、それは計算されたものではなく、天才・ブライアン・ウィルソンの衝動的な音楽表現に源泉があったことを解き明かしている。その比較対象となるのが、ビートルズのプロデューサーであり、音楽をアカデミックに極めたジョージ・マーティンというのが、また示唆に富んでいる。その対比は『ペット・サウンズ』のわかりにくさと、『サージェント・ペッパー~』のつまらなさにつながっているようにも思える。


あと、製作過程をたどると、『ペット・サウンズ』を「ビーチ・ボーイズのアルバム」とくくるのは間違いで、ブライアン・ウィルソンのソロ・プロジェクトと考えるべきだということもわかった。


もうひとつ、『ペット・サウンズ』を理解するうえで大きなヒントとなったのが、山下達郎による「トータル・アルバムの草分け」という指摘だ。これって定説なのかもしれないけど、僕はいままで「トータル・アルバム」として、このアルバムを聴いたことがなかった。



じゃあ、『ペット・サウンズ』ではなにが「トータル」に表現されているのか? そのコンセプトはなんなのか?


日本盤CDにはリリックの訳詞も掲載されている。CD便利。改めて、「なにが歌われているのか」も踏まえながら、アルバムを聴き直してみる。


リリックを書いているのは、ブライアン・ウィルソンではなく、元広告マンのトニー・アッシャー。しかし、元のネタを提供したのはブライアンなので、彼の意向を反映したものだと考えていいだろう。リリックを追いながら『ペット・サウンズ』を聴き直すと、アルバムの輪郭が新たに浮かび上がってくる。



結局のところ、このアルバムを象徴するナンバーは、「駄目な僕 / I Just Wasn’t Made For These Time」と「キャロライン・ノー / Caroline No」だった。この2曲は、タイトル・トラックで、ちょっとマヌケなインストゥルメント・ナンバー「ペット・サウンズ」を挟む形で、アルバム最終盤に収録されている。



前者で流麗なメロディにのせて唄われているのは、人生への絶望感と後悔。


誰も僕を助けてくれない

打ち込むべきものが見つからない

僕はいまの時代にはそぐわない


『ペット・サウンズ』リリース当時のブライアン・ウィルソンは23歳。その若さにして、この「駄目」感。そして、美しいサウンドから滲み出る疎外感。



後者では、イノセンスを失ったかつての恋人の姿を嘆いている。


心が張り裂けそうだ/外にと飛び出して泣きたい気分/

あんなにすてきだったものが死んでいくのを見るのは本当に悲しい/

あぁ、キャロライン、なぜなんだ


昔の面影がないから「心が張り裂けそう」って、余計な世話。年相応に変わっていくキャロラインよりも、頑なに成長や成熟を拒否するブライアンの方が常軌を逸しているように思える。



『ペット・サウンズ』のコンセプトとは、ブライアン・ウィルソンの内面的世界を音像として表現することだったんだろう。それが結果的に、豊かな才能をもちながらも周囲の理解が得られず、ブライアンが周囲に心を閉ざしていく過程を描き出すこととなる。繊細で美しい音楽とともに吐き出されているのは、自分を受け入れてくれない世界に対するブライアンの呪詛だ。



それを踏まえて、改めてアルバム全体を振り返ると、それぞれの曲がいままでとは違った感じに響く。


オープナーの心躍るアレンジが印象的な「素敵じゃないか / Would’nt Be Nice」は、単純なラヴ・ソングではなく、結局、叶わなかった夢をいまさらのように回想する曲だし、「ザッツ・ノット・ミー / That’s Not Me」では大志を抱いて都会に出てきたものの、孤独に苛まれ、自信を失っていく男のつぶやき。


なにも言わないで/ただ、僕の肩に頭を預けてと唄う「ドント・トーク / Don’t Talk」の真意は、「言葉はつねに嘘だ」という相手への不信感。「神のみぞ知る」では、恋人が自分の元を去るのではないかという強迫観念にかられた男の狂気が垣間見える。


バハマの民謡のカヴァーだという「スループ・ジョン・B / Sloop John B」でさえ、心を病んだブライアンが「家に帰りたい」と泣いているようだ。



たとえ超名曲であったとしても、ここに「グッド・ヴァイブレーション」が入るわけはないのだ。このナンバーは、一説にはLSDによる高揚感を表現しているとされていて、『ペット・サウンズ』収録曲のようなブライアンのポートレイトではないんだから。



『ペット・サウンズ』のラスト・ソング「キャロライン・ノー」のエンディングで流れるのは、踏切の警報器の音と犬の鳴き声。そこで思い詰めた表情で立ちつくしているブライアンが脳裏に浮かぶ。その踏切こそが、正気と狂気のはざま。生と死のはざま。


コンセプト・アルバムというよりも、まさに「私小説」。むしろ「遺書」に近いものかもしれない。実際に『ペット・サウンズ』以降、ブライアンは精神のバランスを崩し、音楽シーンの第一線から姿を消す。最悪の時期を脱し、音楽活動を本格的に再開するのは、1988年まで待たなければならなかった。



こうして考えてくると、『ペット・サウンズ』の系譜に連なるのは、決して『サージェント・ペッパー~』ではないことがわかる。2枚とも「トータル・アルバム」の嚆矢ではあるけど、『ペット・サウンズ』が、図らずもブライアン・ウィルソンの精神の崩壊を映し取ったシリアスなアルバムになったのに対し、『サージェント・ペッパー~』は、単なるスーパー・スターの「遊び」みたいなものだし。


むしろ、この連載78で取り上げた、ジョン・レノンの『ジョンの魂』こそが、その座にふさわしいんじゃないか。ただし、『ジョンの魂』がジョンの巧妙な自己プロデュース能力によって成立したのに対し、『ペット・サウンズ』では、ブライアンの「魂」がむき出しのまま音として刻み込まれている。その痛々しさが、『ペット・サウンズ』をアートの域に押し上げているとも言える。



そのヒリヒリする感じは、ミツキやフィービー・ブリッジャーズ、ガール・イン・レッドなど、メランコリーとともに日常を描写する、昨今の「サッド・ガールズ」と呼ばれるインディ・アーティストたちを彷彿とさせる。まさかそんな今日性を『ペット・サウンズ』に見出そうとは。


2020年の2位も決して過大評価ではなかったのだ。




おっちゃん的名盤度(5つ星が満点):★★★★★







長谷川 和芳 KAZUYOSHI HASEGAWA

1969年、福岡県のディープエリア筑豊生まれの編集者・ライター。414Factory代表。メインの業務は染織作家の家人の話し相手。