酒場SAKABA
山口洋(HEATWAVE) |博多今昔のブルース Vol.39〜雪山の効用
雪山はいい。なにもかも、自分の思い通りにならないのがいい。舐めたら大怪我どころか命の危険さえあるのも悪くない。
僕は南で育ったから、雪山に縁がまるでなかった。45歳になったとき、熱烈に勧められて、3日間オリンピック選手が開いた名門スキー学校の門を叩いた。初日に感化されて、すべての道具を買った。なににビッと来たかって、すべて、かな。重力の意味を知り、自然を読み、全身を使って空っぽになること。
遅すぎるなんてことはない。夢中になって滑った。3年後にはアメリカの標高3~4000メートルの山にひとつき滞在するようになっていた。アホだと思う。周囲からは呆れられたけれど、そのひとつきは僕にとってはたいせつな時間だった。
毎日、宿に帰ってくると、目が澄んでいくのがわかる。当たり前だ。だって、美しい山と空しか見ていないのだから。それは言葉にすると「命の洗濯」に等しかった。そのうち、僕は山の主の存在を感じるようになる。どんな山にも主はいる。決して善良なものだけではない。邪悪な主もいる。その存在を感じて、つとめて謙虚でいること。「今日もよろしくお願いします」。敬意を忘れないこと。そうすれば、たぶん死んだりはしない。
早朝に起きて、身体を整え、山へでかけていく。ゴンドラで登り、リフトで登り、雪上車で登り、最後は自力で1時間ほど登ると4000メートルの頂にでる。思い返せば、そこで僕はタバコをやめたのだった。「もうええやろ?」、なぜか関西弁が聞こえてくる。「タバコのこと?」、「そやねん」。吸ってみたら、異常にマズかった。そこから2000メートルくらい滑り降りて、タバコをゴミ箱に捨てた。以来、一本も吸っていない。あれだけ、なにをやってもやめられなかったのに。
まずは明日の天気、これからの天気の動きを知ること。雪、風、嵐、エトセトラ。4000メートルに行くときにはどこからどう見てもピーカンの日だけしか行かない、いや、行けない。ホワイトアウトになると、上下左右、なにもわからなくなる。大して技術もないのだから、謙虚でいることを忘れてはいけない。
あるとき、盲目の黒人の女性スキーヤーを見た。どうやって滑るって、彼女の前にインストラクターがいて、後ろ向きに滑り、彼女に雪面の状況を口頭で伝える。彼女は足から伝わってくる情報と口頭でのインフォメーションを頭の中で混ぜ合わせて滑っているのだった。その表情があまりにも楽しそうで、僕はショックを受けた。「オレはなにも見ていなかったのだ」と彼女に教えてもらった。
50歳になったとき、スノーボードが向こうからやってきた。詳細は割愛するけれど、グレイトフル・デッドのボードをプレゼントされた。これなら乗ってもいい、と思った。アメリカでデッドのボードを持っていると、いろんな人に話しかけられる。「オレはジェリーの何年のライヴを見たぜ」みたいな感じで。笑。それも悪くない。
ところで、スノーボードは見た目の10倍は難しくて、それが面白かった。なにせ人生50年、横ノリの経験がなかったから。初めてスノーボードに乗ったその日から、スキーには一度も乗っていない。浮気してる場合じゃないから。
3年目、見事に手首を骨折。フツーそこで帰国すると思うが、ドクターがとっても優秀で、僕の目を見て察したのだと思う。真っ赤なギブスをガチガチに巻いてくれて、3日後には山に戻った。アホだ。リハビリは大変だったけれど、それもまた悪くなかった。
もう3月。あの素晴らしい雪はごく限られた秘境のような場所に、限られた期間だけ存在する。でも、だからこそいいんだよね。あの一瞬は冬のごく限られたときに努力しないと体験できない。自然が相手だから、こちらの都合なんてまったく通用しない。だからこそ、いいんだよね。笑。
ヴォーカリスト、ギタリスト、ソングライター、プロデューサー、そしてランナーにして、スノーボーダー。
1979年、福岡にてヒートウェイヴを結成。1990年、上京しメジャーデビュー。現メンバーは山口洋(vo.g)、池畑潤二(ds)、細海魚(key)。山口洋がソロツアーの旅で新たな曲をつくってバンドに持ち帰るというスタイルで、ほぼ全曲の作詞と作曲を担当する。1995年の阪神・淡路大震災後、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と「満月の夕」を共作。2011年の東日本大震災直後からは「MY LIFE IS MY MESSAGE」プロジェクトのさまざまな活動により、福島県の相馬をピンポイントで応援し続けている。仲井戸麗市、佐野元春、遠藤ミチロウ、矢井田瞳ら国内のミュージシャン、ドーナル・ラニー、キーラらアイルランドを代表するミュージシャンとの共演も多い。
http://no-regrets.jp