山口洋(HEATWAVE) | 博多今昔のブルース Vol.4〜まるふじラーメン
photo by 三浦麻旅子
まるふじラーメン
「まるふじラーメン」。いったいどれだけの人が記憶しているんだろう?でも、僕にとっては世界に通じる扉のようなものだった。
その店は東区香椎小学校の近くにあった。あの時代、どこにでもあった町のラーメン屋。メニューはラーメンとチャーハンだけだったかな。無愛想なおじさんがおばさんと切り盛りしていた。
1977年当時、ラーメンはおしゃれな食べ物でも主食でもなかった。「早く、安く、そこそこ美味く」おやつに毛が生えたような存在。うどんの方が主食で、かけうどんは50円で食えたし、美味かった。福岡はとても暮らしやすい街だった。
当時のラーメン屋の多くはなぜか「赤」を基調とした店構えで、汚い店ほど美味かった。のちに東京で「汚くて、高くて、まずい」という都会の方程式に打ちのめされるまで、福岡におけるラーメン屋の選定は店構えを見るだけで十分だった。
どんぶりが欠けていたり(たいてい龍が描かれている)、洗い方が不完全でギトギトしていたり。でも、われわれはそのおかげで雑菌に対する耐性を身につけたはずだ。
さて、まるふじ。猫の頭が寸胴に入っているのを見たという噂のスープをギトギトのどんぶりに注ぐ前に、魔法の白い粉を大さじ一杯、どんぶりに入れる。まごうことなき化学調味料。これを堂々と客の前で入れないラーメンを私はラーメンだと認めたくない。
価格は230円だったか。今の感覚なら、ぎりぎりワンコインか。「カタ!」なんていう必要もない。んなもんデフォルトだから。
中学生になってパンクロックに目覚め、世界と教師に反抗したかったけれど、具体的にどうしていいかわからずに居たら、同級生の筒井くんがこう言ったのだ。
「まるふじが遅くまであいとーけん、食べにいかん?」。
なんだか、とてもワクワクした。深夜2時までイヤホンでラジオを聞いて、家人が寝静まったのを見計らい、バレないように家を出て、チャリンコに乗って筒井くんと合流。補導されないように裏道を走って、まるふじのラーメンを食って帰る。ただ、それだけの反抗だけれど、僕らにとっては「支配からの卒業」で「理由なき反抗」の始まりだった。ほんとだよ。
なんだか、レールから外れて生きるための第一歩を、確実に踏み出した感じが確かにあった。ご褒美にあのラーメンが待っている。イージー・ライダーがマルディグラに向けて走ったなら、オレたちはまるふじに向かって走る、みたいなフリーダム。笑。
なんてことない味と、深夜2時すぎに中坊がラーメン喰っている不自然を見逃してくれる無愛想な店主と、ドキドキする気持ちと、パンクロックと。
でも、世界の扉はこうやって開けていくんだって、まるふじの暖簾をくぐる度に気持ちを強くした。
高校生になったある日、まるふじはなくなっていた。故郷がなくなったような気持ちになったのを覚えている。
僕はまるふじの暖簾の向こうに世界を感じた。あの暖簾をくぐるときの気持ちで世界を歩いてきた。だから感謝しかない。
世界でいちばん美味いまるふじラーメン。もう一度食べてみたい。
(写真はイメージです)
ヴォーカリスト、ギタリスト、ソングライター、プロデューサー、そしてランナーにして、スノーボーダー。
1979年、福岡にてヒートウェイヴを結成。1990年、上京しメジャーデビュー。現メンバーは山口洋(vo.g)、池畑潤二(ds)、細海魚(key)。山口洋がソロツアーの旅で新たな曲をつくってバンドに持ち帰るというスタイルで、ほぼ全曲の作詞と作曲を担当する。1995年の阪神・淡路大震災後、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)と「満月の夕」を共作。2011年の東日本大震災直後からは「MY LIFE IS MY MESSAGE」プロジェクトのさまざまな活動により、福島県の相馬をピンポイントで応援し続けている。仲井戸麗市、佐野元春、遠藤ミチロウ、矢井田瞳ら国内のミュージシャン、ドーナル・ラニー、キーラらアイルランドを代表するミュージシャンとの共演も多い。
http://no-regrets.jp